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「はい。今日は特別な日で…久しぶりに作ってみたまで。ふだん作ることはありません。作っておいてよかった。お客様にお出しすることができましたでな。わしの店はとっくの昔にたたんで無くなっております。が、弟子達が遠いよその地で、わし仕込みの技を引き継いでくれておるでしょう」老人はしんみりとした声で答えた。
「そうですか。お弟子さんが遠くにおられるのでは、それは少しお寂しいことでしょう」
「いえいえ、自分で店を手放したんです。あとのことは引き継いだ者に任せるのが一番。わしは誰にも会おうとは思っておりませぬ」
老人は気を取り直したように少し笑い、ふっと溜息をもらした。
『代々続いたお店を自分の代でたたむなんて、さぞ大変な思いをされたのだろう…』修は気の毒に思った。
修の同情の視線を感じて、老人は何か言いたげな顔をした。修は持っていた湯呑を置いて、老人の言葉を待った。老人はためらっていたが、やがて決心したように修に尋ねた。
「さっき外で…若い娘が通り過ぎるのをご覧になられましたな?」
「はい。驚きました。着物姿で雪に足をとられることもなく、とても早足で…。お知り合いですか?」
「わしの孫です」
「お孫さん?」修は少し驚いた。
老人は修を覗き込むようにじっと見つめた。
「孫をどんな風に感じましたかな?」
「…きれいな人ですね」修は当たり障りのない言い方をした。
「他には? どうか正直に。何を言われても平気ですじゃ」
老人の真っ直ぐな強い視線に、修は取り繕った返答はできないと思った。修は感じたままを言った。
「美人さんだと思います。でもなぜあんなに冷たい表情をしているのか…? 喪服のような着物の柄も口紅も色が毒々しくて…短い髪も長さがばらばらで、お孫さんには似合ってないような…失礼なことを言うようですが…」
老人は深く何度も頷いた。
「孫娘は…沙織(さおり)と言います。沙織は大昔にとても苦しい思いをしましてな。それ以来すっかり心を閉ざして、一言も話さず、あのようにこの一帯を歩き回っております。わしが連れ帰ると、自室にこもって壁に向かって座り、身じろぎもしないでおります。そんな毎日ですじゃ」
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