3、おどり

2/10
88人が本棚に入れています
本棚に追加
/70ページ
3、おどり…活きたままの寿司ネタのこと。  店じまいを終えて事務室に向かうと、着替えを終えた山形さんが嬉々として話しかけてくる。 「むぎ子ちゃん、あのね、どうかな。みんなでこれから、林さんの、ポップンミュージックを見に行こうって、話してたんだけどね…」  一つ年上の山形さんは医学部に通う大学四年生の女の子で、いつもニコニコして微笑んでいる。肌は炊きたてのシャリのように真っ白で、邪気のない笑顔は錦糸玉子のようにふわふわだ。 「別に、わざわざ見るほどのものでもありませんが」  黒縁メガネの林さんが照れくさそうに呟く。唇が分厚くて頭でっかち、深海のウニのように剛毛な短髪は、かぶりっぱなしの丸帽子のせいでペタンコだ。林さんは今年入社したばかりの新入社員で、目下研修中の身である。  むぎ子が「見に行きたいです」と言って見つめると、林さんは「見られるとやりづらいんですけどねえ」と言って目を逸らす。そう言いながらも、彼のむき出しの大きな耳は、みるみる真っ赤に染まってゆく。    野田先輩が「本当は嬉しいくせに。」と言って林さんを小突く。林さんが怒ったように、野田先輩を小突き返す。    その後ろで、店長が黙々と業務日誌をつけている。どでかい体は狭い事務室の三分の一を占領している。誰も彼に話しかけない。むぎ子はその締まりのない背中を、じっと見つめる。
/70ページ

最初のコメントを投稿しよう!