4、仕込み

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4、仕込み…準備のこと。    空が真っ赤に燃えている。18歳のむぎ子はそれを、改札の柱に寄りかかって、ぼんやりと見つめている。5軒目の心療内科の診察を終えた帰り道で、途端に歩く気力をなくしてしまったのだ。    医者というのは、どこへ行っても同じだった。むぎ子は毎回、医者に向かって、「私、病気と思うんです。」と強い口調で言った。「だって、どうしても怖いんです。怖くって怖くって、仕方がないんです。」   医者はパソコンにカタカタと打ち込みながら、むぎ子の激しい口調を諌めるように、穏やかに質問をする。むぎ子は、自分は必死に目を見て喋ろうとしているのに、医者が全然こちらを向かないことを、勝手に裏切られたように思う。 「それは、主に、授業中に、そうなるのかな?」 「そうなんです。先生に当てられて、答えるのが、短い文章だったらいいんですけど、一行以上のものを読めって言われたら、手がガクガク震えて、声が震えて、読めないんです。先生たちには、私、緊張しやすいから、当てないでくださいって、そう言ってあります…」 「なるほど。」 「でも、最近はその緊張がますますひどくなってきて、学校の先生とか、目上の人と話すのにも、すごく緊張するようになってきて。」 「緊張する相手は、男の人が多い?」 「…はい、そう思います。」 「なるほど」 「このままだったら、私、将来、何にもできないと思うんです。まともに働くことも、何にも…」 「うーん。でも、世の中には、人前に出なくても済む仕事がたくさんあるからね。」  むぎ子は下を向く。言葉を重ねれば重ねるほど、伝えたいものが、靄になって、霞んでゆく。この感覚は、もう幾度も、経験してきたことだった。
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