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私は昔から、真面目な子と周囲から評価を受けるような人間でした。潔癖なほどに正しさを重んじていたのです。
けれど正しければすべてが上手くいくほど世界は、いえ、人間社会とは甘くはなかったのです。正しさを押し付ける者が疎まれるのは必至、私に待っていたのは正しさによる孤独だけでした。
それでもなお他者に正しさを説けるほど、私の心は強くはありませんでした。孤独とは正しさを捨て去ってまでも抜け出したいほどに辛く悲しいものだったのです。
私は口を閉ざすことを学びました。考えも思いも口にするだけ無駄であり、ただ自分の立場を悪くするだけだと知ったのです。
そんな私も将来の職を考える歳となる頃には、ある程度協調というものを実践できるようになっておりました。心中何を思っていようと、他者の前では薄ら笑いを浮かべて考えに同調する。かつて掲げていた正しさなど捨て去り、まさしく道化と化していたのです。
そんな折、私はある話を聞きました。もうすぐ医学の発達によって人間百年の時代が来る、というものでした。誰もが百年も生きられる時代とは夢のようです。かつて人間五十年と謡い舞った武人が聞けば、驚きを通り越して呆れてしまいそうな年月ではありませんか。
けれど、私はそれを聞いたとき喜べはしなかったのです。それどころか絶望しました。
百年生きるとなったなら、私はあと何十年道化でいなければいけないのでしょうか。あとどれだけ嘘を重ね、自分を殺して生きねばならないのでしょうか。吐き出せない思いを抱え、他者に幻滅しながら、同時にそんな自分を蔑み何十年と人間社会に在り続ける。それはなんて地獄でしょう。けれど今更、捨て去った正しさを拾い上げ、自分の心に従って生きることなど出来ないのです。その先にあるのは、孤独という別の地獄なのですから。
どう歩もうが地獄であることを突き付けられた私に芽生えたのは、泥水のような生への絶望でした。ただ過ぎ去る一瞬が、一日が、重苦しく長いものに感じられました。何十年という今後はおろか、明日が来ることすらも苦痛になったのです。
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