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大学生活が始まった。
僕は県内の大学だったが、自宅からローカル線に一時間揺られての通学となった。毎日駅に着くと彼女を思い出し、電車の中では行きも帰りも彼女にメールした。彼女からの返信はいつもランダムだったが、今電車の中とか、今お昼ごはん食べてるとか、状況が併記されていたので彼女の動きが容易に把握できた。夜寝る前にはまたメールをやり取りして、一日を終えた。
思っていたほど会えない淋しさはなかった。メールの向こうにはいつも彼女の毎日が見えていたし、たまにはビデオ通話で顔を見ることもできた。物理的距離があることさえ忘れていれば、彼女はいつも僕の側で笑っていた。むしろ連絡頻度が増えて、話の内容も具体的になって、距離が縮まったようにすら感じていた。
僕は大学で落研に入った。
落語は全くの未経験だし、ほとんど聞いたこともなかったが、入学して間もない頃にもらったビラを見て新歓ライブに行き、興味を持った。
演技、というものを、やってみたいという気持ちは、実は子供の頃から少しあった。でも、僕は消極的で恥ずかしがり屋で、演劇のように人と演技を交わし合う勇気が出なかった。セリフも絶対棒読みになる自信があった。それでも、自分とは全く違う他人を表現できたら楽しいだろうなという気持ちはあった。
落語は、全部一人でやれる。話の最初から最後まで、一人でコッソリ演じてみることも出来るし、言い回しのお手本もちゃんとある。真似するところから始めれば、僕にでもできるかもしれない。
そんな軽い気持ちで入った落研だったが、思ったよりずっと難しくて、声の出し方ひとつにしても、扇子や手拭いの使い方ひとつにしても、簡単にはいかなかった。
先輩に指導してもらいながら、自分でもスマホで落語の動画を観たり、音声だけ聴いたり、自宅の部屋で小さな声で練習したりと、僕はすっかり夢中になってしまった。何より、自分の声や仕草が曲がりなりにも演技を生み出し始めたという喜びが大きかった。
彼女にもそのことを話していたけど、落語にのめり込んだ僕は、少しずつ彼女への連絡が疎かになり始めた。彼女は彼女で、天文サークルに入って大学生活を楽しんでいるようだった。
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