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(この女は夏紀をあんなに傷つけているくせに、こんなふうに優しくするなんて卑怯だ)
されるがままになりながらも、悔しくて唇を噛んだ。僕が本当の夏紀じゃなくてよかった――そう思う一方で、優しく触れてくる手がすごく暖かで、泣きたくなった。
女の人は黙々とタオルを動かしていたが、不意に手をとめて僕をまっすぐに見た。
「本当にごめんなさい。もう、あなたのお父様とは会わないわ」
「…そんな。ちょっと待ってくれ」
父親がうろたえたように声を上げた。それを女の人はすっと見返した。
「子供に知られたらもう終わりよ」
きっぱりと突き放すような口調に、僕は息を飲んだ。
父親は何かをこらえるように足元を見ていたが、意を決したように顔を上げた。
「…帰ろうか、夏紀」
父親が手を伸ばしてきて、僕はまずい、と後退った。
父親がひどく傷ついた顔をする。僕はそれをきっと睨んだ。
(あんたに傷つく権利なんかない)
僕はくるっと背を向けると、一目散に駆け出した。後ろから夏紀、と呼ぶ声が聞こえたが、あの父は追っては来ないだろうとわかっていた。
その声が、ものすごく力無かったから。
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