Nightmare1:黄昏に住まう影

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「せんぱーい、入りますよぉ~」  扉の向こうから、間延びした声。  低く落ち着いた声だった。  暗い思考の海から、結月は顔を出す。そうすれば、部室の扉がゆっくりと開いた。    一人の青年が室内に入ってくる。  二種類の缶バッジがついた黒いヘアバンドをした青年だ。深緑の光輝を鈍く放つ細い髪が、意外にも指通りが良さそうに流れている。その奥に見える黒曜石のような瞳は、眩しすぎる世界の光をあまり取り込まない。置き物のように表情が変わらない顔で、青年は夢から覚めたばかりの結月を見据える。  立石蒼斗(たていしあおと)。  結月の三つ年下の後輩であった。 「何? 今忙しいんだけど」  結月は取り繕うように笑んだ。 「マジっすか。手が離せない感じです?」 「まぁ、少しくらいならいいよ。そこまでじゃないし」  愛想笑いを浮かべれば、相も変わらず眠たげな黒い三白眼がじっと結月を凝視した。まるで、何かを探っているかのように。  その目の鋭さは、紛れもなく結月自身が蒼斗に教えた『人の表情を見抜く方法』だった。 「あ、先輩寝てましたぁ?」と蒼斗が呑気に問いかける。 「寝てないよ」 「嘘っすねぇ」 「まさか。ホントだよ」 「いや、間違いなく嘘っすよぉ。寝癖ついてますし、先輩は僅かに目を細めた。それから、答えるのに不自然な間がありましたし、後は――」 「はいはい、分かった。ボクの負け」  結月は苦笑しながら遮った。  普段は口数がそれほど多くないくせに、人をからかう材料を手に入れた途端これだ。  厄介な後輩を持ってしまったものだ。もっとも、その後輩を育てたのは紛れもなく結月自身なのだが。  結月が苦い顔をしていようとも、蒼斗は別段表情を変えることなく、そのまま正面の椅子に腰かけた。  立石蒼斗は、結月と同等の優れた観察眼の持ち主だった。  結月が所属するオカルトサークルの一員であり、サークル内では結月と最も付き合いの長い後輩である。学部も同じ心理学部である。それゆえに、何かと縁を感じる間柄であった。  蒼斗は、学部の研究にも、一般人にはどうにも信じてもらえないような霊的な事象の調査にも、面倒くさがりつつ真剣に取り組む人間だ。口を開けば面倒だと無気力に言うが、最終的には物事をやり遂げる性分だ。それが結月にとっては非常に助かっており、蒼斗のことはそれなりに気に入っていた。
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