Nightmare1:黄昏に住まう影

1/31
72人が本棚に入れています
本棚に追加
/323ページ

Nightmare1:黄昏に住まう影

c70ea6cc-14f7-46bd-9318-9fbe7a4f0ad1  夢から覚めるというのは、水中から顔を出す感覚に近い。  ハッと目が覚めた。  肺を圧迫する水圧が消え、途端に酸素が舞い込んでくる。バサバサと何かが落ちた音が遅れて耳奥に入り込み、意識は瞬く間に覚醒し始めた。  そうして倉間結月は、瞬きを繰り返す。  夕陽を溶かし込んだ瞳で周囲を見回した。よく磨かれたホワイトボード、向かい合って並ぶ灰色の机と椅子。床には、自らの字が大量に刻まれた紙。散乱したそれらの上に、紺色のシャープペンシルが転がっている。  至ってシンプルな教室内を散らかした犯人が己だと気づき、結月は深く嘆息した。  いつの間にやら寝こけていたらしい。  まだ少しぼんやりとする意識の中で、結月は落ちた紙類に手を伸ばす。拾い上げて机上に置けば、不意に夢のことが脳裏を掠めた。 「……星來(せいら)」  額に手を当てる。  長らく顔を見ていない弟の名を口にした。ぴょこりと寝癖のついた金髪をくしゃりと握れば、夢の中で感じた苦しさが舞い戻る。久方ぶりに呼んだ懐かしいその響きは、確かに胸をギリギリと締めつけた。  ……またこの夢だ。  弟と最後に言葉を交わした日。それを夢に見た。  弟が苦手な夜。冷え切った季節。騒がしい雨音と、消毒液の香り。  結月の頭と心には、いつだってそれらが鮮明に刻まれている。それもこれも、弟と結びついてしまうからだろう。  もう、八年も前のことなのに。結月は再び溜め息を吐く。  結月が弟と離別したのは、八年前のことだった。とある冬の日の夜のことだ。両親の離婚と同時期に、弟とは最悪の別れを果たしたのだった。  弟との別れは、両親の離婚が原因ではない。無論、それも理由の一つには含まれるのだが、結月にとっては『もう一つの理由』の方が重要であった。  結月の体質――霊媒体質とでも言えようか、それゆえに、当時の結月が弟を守るためには、無理にでも弟と離れるしか方法がなかった。中学生とはいえ、まだ幼かった思考ではそれしか考えつかなかったのだ。    あの日のことを、今もまだ心の奥で後悔している。縋るように服を掴む手の力も、泣きながら名前を呼ぶあの声も、ずっとこの身に刻まれて消えてはくれなかった。
/323ページ

最初のコメントを投稿しよう!