きっかけ

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 尚之はそこそこの大学を出て、すぐに就職をした。今いる広告会社でずっと真面目に勤務している。今は営業部の課長の座を守っていた。それ以上に昇進をしたいのだが、上の部長の座を自分より一回り上の男がその席を譲らない。  尚之はクラブでの接待を終えると、栗田たちをタクシーで送り、家に帰った。尚之の家はマンションで、エレベーターに乗り、五階で降りた。家の扉の前に辿り着くと、使い古されたヴィトンのバッグを開けて、仄かに電灯が点いているマンションの廊下で鍵を探す。ごそごそと鍵を探しているが、そのうち、緊張の糸がどんどん解けていき、さっきまで飲んでいた酒が回ってきた。  やっとのことで鍵を見つけると、玄関を開けた。玄関を開けると、リビングの方から光が漏れているのが分かった。恐らく、妻の恵が尚之の帰りを待っているのだろう。その光の先を見て尚之は嘆息する。スリッパに履き替えると、尚之はリビングへ向かった。 「おかえりなさい」  恵が、リビングのソファーに横たわっていたのを、起き上がり、ひざ掛けを外すと尚之の方へ近づいた。尚之は妻の目を一瞥すると、スーツのジャケットを脱いで恵に渡した。恵はそれを大事そうに抱くと、 「ご飯、温める?」  恵は柔らかく言うと、尚之はとげとげしく、 「お前、今何時だと思ってるんだよ。もう待たなくていいって何度も言ってるだろ」  言うと、苛立った分、余計に酔いが回り、ふらふらとおぼつかない足で冷蔵庫に向かうと、中から缶ビールを取り出し、プルタブを思い切り開けると、それをぐびぐびと喉に押し通した。立って飲むとまたふらっとして、倒れそうになる。それを恵が支えようと手を伸ばすと、尚之はそれを思い切り払った。 「もう寝ろよ! 俺は疲れてるんだ。ほっといてくれ!」  深夜二時を回っている。尚之の怒声を聞いて、恵は、目を伏せて、ぎこちなく笑った。 「そうだよね。うん、先に寝るね。おやすみなさい」 「……」  尚之は返答もせず、ビールを飲み続け、げっぷをひとつした。恵はジャケットを抱えたまま、二人の寝室へ向かった。その背中はどことなく、小さく見えた。
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