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「ねえ、この木の花は紫雲木って言うとか。紫の雲の木。ほんとに紫の雲みたいに儚い。ジャカランダって呼ばれているそうですよ」
やっと、シンボルツリーの名前が分かり、彼女にも教えてあげたくて彼は立ち止まる。
「へえ、そうなの。私も見てみたいわ⋯⋯。紫の雲。花びらもふんわりしているものね。聞いたことのない響き。エキゾチックだわ」
彼女は目元に巻かれた白い包帯を撫でる。瞼の裏でヴィジョンを膨らませているのか、静かな沈黙も、うっとりした響きを含んだ。二人は寄り添って、暫く馥郁に浸っている。
「嗚呼、楽しかった。ねえ、また会える?」
頬を染めて彼女は言った。花びらが舞う。ダークブロンドの巻毛に絡んだ一片を払い、彼はドキドキに嬉しくて堪らず、二つ返事。
「あのね、図書館で面白い本を見つけたの」
貴方にも見せてあげたい──という声に、心を重ねて目を閉じ、彼は甘い吐息を逃す。偶然でも同じ気持ちになれた事に感慨深く、今日限りの事にしてしまうには勿体なくて。今夜は彼も滞在することにして、約束する。きっとまた、図書館で御逢いしましょうと。
「ねえ、その場限りの約束じゃないよね?」
「いやはや、社交辞令じゃないんですけど」
何度も口先だけじゃないか確かめる彼女。ちょっぴり用心深いような気もするけれど、直向きな琥珀色の瞳を、可愛らしく思った。それがデートの誘いなのかどうかを確かめる勇気など彼にはなく、友達感覚は抜けない。
「瞳ちゃんから貰った栞の謎もあるし⋯⋯」
怖ず怖ずと彼女は勿忘草の栞の話をした。龍人の美少女が掛けた小さな魔法について、気にしているらしいと、言動から気がつく。忘れていた彼は、他愛もない相談に乗った。
「ああ、あの子から話を聞いてはいますよ。栞に何か楽しい仕掛けがあるんでしょう? また明日、きっと、種明かしをしましょう」
浮かれ舞い上がってしまう心は変わらず、近い未来について耳の側を流れる風に聴く。また明日も晴れ上がった青空と出会えるか、そこら中にいる小鳥に訊ねたくなって来た。遠足が愉しみで、寝付けない子供みたいに。
今度は何を話そう。どうして気を引こう。そんなことを頭でっかちに、考えながらも、一つも気の利いた事は言えずに口数少なく、穏やかな沈黙の中、彼女に歩幅を合わせて、一歩一歩、夜明けまでへの道を歩き出した。
太陽の沈んだ夜の海を直向きに見つめて、同じ名前の花と石に思いを馳せながら──。
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