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しばらく静かに時計の秒針と、シャープペンシルの紙を擦る音だけが響いていると、カタンと一人の生徒が詠の壇上の方へやってきた。
「先生、出来ました」
その男子生徒は詠に原稿用紙を渡すと、それは数行しか書いていなく、受け取った詠は、おや、と思うも、笑みを浮かべ、
「おっけ。ありがとう。じゃあ、自習していいよ」
詠が云うと、その男子生徒は、上から詠を見下げたまま、
「じゃあ、教室戻っててもいいですか」
「え? あ、う、うん。いいけど……」
言うと、その生徒は自席に戻ると、自分の用具を持つと、音楽室を出て行ってしまった。
(へえ。この学校でもこういう生徒はいるのか)
詠は出ていくその生徒を見送ると、また雑誌に目を落とした。確かに、この学校は進学校である。音楽の授業など、普通科の生徒なら重要視する生徒の方が少ないといったところだろう。
詠は何も咎めることなく過ごしていると、次々と他の生徒も原稿用紙を詠の方へ持ってきては、
「私も教室帰っていいですか?」
と、訊ねてくる。詠はそのたびに、「いいよ」と告げていると、とうとう、その教室には、渡辺龍二、そう、詠のファンという男子生徒ひとりだけになってしまった。
その男子生徒はじっと自分の原稿用紙と睨めっこしている。
詠はそれを見て、安堵する。それからそっと龍二の方へ向かい、隣の椅子に座ると、原稿用紙を覗き込んだ。
「君だけになっちゃったよ」
ははは、と笑う詠。龍二は驚いて顔を上げると、顔を真っ赤にして、
「あ、えっと! そ、そうですね!」
あはは、とこちらは反応的に笑う。
「今までの音楽の授業って何してたの?」
詠が訊ねると、龍二は、少し考えて、
「えっと……。な、なにもしていませんでした。先生も、授業を進めようとしても、みんな、他の授業の教科書とか問題集を持ってきていて、それをやってるんです。だから、音楽らしい授業なんて、していませんでした」
「なるほどね……」
詠は顎に手をあてて考え込む。そう、音楽の教員がこの時期に欠員が出ることが詠にも疑問だった。つまりは、授業をさせてもらえず、ボイコットを続けられた前の音楽教諭はそれに耐えきれず、辞めてしまったということだろう。あくまで、予測でしかないが。
詠はそんなことを考えていると、龍二が困った顔を続けているので、
「ああ、ごめん。リュウジくん。続けていいよ。俺、みんなの原稿用紙読むから」
「は、はい!」
目を輝かせて応える龍二。名前を呼ばれて嬉しいのだろう。詠は教壇に戻ると、積まれた原稿用紙を手に取った。
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