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「あらかわいい。いいわよ、ちょうど犬がほしくて」
母はあまりにも簡単に許可を出すから驚いた。犬というか朝陽くんは本当に天からやって来たのではないかと思えるほど汚れていない。ただ家に上がるために風呂場で水浴びをすることになった。
甥は犬といたいと駄々をこねるが話したいことがあるから私だけで洗うことになった。甥は泣き出しそうだった。それでも母が「今日はすき焼き、準備手伝って」と言うと甥ははしゃいでリビングへ行く。流石はガキで単純である。
風呂場にて。
「ワン!」
「嬉しそうに吠えるのはいいけど話したい」
「すみません、嫌いにならないでください」
シャワーヘッドを手に当てる。お湯を出しながら熱すぎないように調整する。
「私の家初めてでしょ?」
「嬉しい、犬も悪くないね」
「呆気なく入れた、犬系男子は便利ね」
「ワン!」
朝陽くんは瞼を閉じて鼻を突きだす。お湯が鼻に入らないようにすればいいらしい。湯を当てながら撫でるように洗う。
「私は心から世界で一番幸せって思ってほしかった、その、手紙の件だけど!」
バスタオルを持ってきて抱き締めるようにタオルで包む。タオルを離すと朝陽くんはぶるぶると体を振って水を弾丸のように飛ばした。私まで濡れてしまって、それに気づいた朝陽くんはクーンと鳴く。
「雪音さんごめん」
「大丈夫」
「それとやっぱり未練があるから雪音さんともっといたいって。幸せだったけど死ぬ数日間は会えなかったし世界一とは言えなくて」
「それでも私は幸せが良かった。まだ何年も生きる人たちでは追い付けないくらい幸せだったって、そうじゃないと私は朝陽くんのいない世界を嫌いになってしまう。私は人の幸せが憎いって思ってしまう。重い話してごめん、犬ってすき焼き食べられるかな?」
「たぶん無理じゃない?」
「他人事みたいに。今、犬なんだよ朝陽くん」
クーンとわざとらしく鳴く朝陽くんがおかしくて、それだけじゃなくて、大好きな人が隣にいることに安堵してしまって笑みと涙が溢れてしまう。大好きな人、じゃなくて犬?
いやいや生前は人だったし大好きな人でもセーフでしょ、って誰に弁解してるのか分からないけど。
「ただ肉は好き」
「良かった。一緒に食べよう、朝陽くん」
「ところで雪音さんずっと思っていたけど、俺って裸だし見えてないか。例えばゴールデンなボールとか、その愉快な仲間たちとか」
「ん?」
聞こえないふりをする。意識したら駄目だ、犬なんだから。人間じゃないし見えてても大丈夫、いや大丈夫じゃないよ朝陽くんの朝陽くんだし、むしろ犬に欲情する女ってことで変態以上に変態? 人間が服を着てるのがスタンダードだし犬が裸なのは服を着てるようなものじゃない? けど意識レベルでは人間だろうしタオルでも、けど母には犬で通しているしもちろん犬だけど、ゴールデンなボールってあれだよね金色に光らないやつで、その大きい? いやサイズ的にはそうでもないっけ? 授業で学んだっけ、でも朝陽くんは犬だし。……。
「熱いよ雪音さん、身体がぽかぽかになって、湯気出てるよ湯気」
ワン! ワンワン。
そこでようやく意識が戻る。
「大丈夫?」
「もちろんゴールデンなボールと愉快な仲間たち、私は寛大な心で受け入れます。大丈夫、怖がらないで」
「あ、雪音さんが壊れた」
風呂から出る。まさか私が精神まで中学生のままとは思わなかった。
もし高校生とか大学生だったら母は彼氏の存在を許したのか? 私は最期まで朝陽くんといられたのか。今となっては分からないけど。
食卓に着く。兄夫婦と甥、母と父、私と追加で犬。
「ワンちゃんは焼いた肉。調味料は使ってないから」
脂がキラキラと光る。高そうな肉、犬なんかにと一瞬思ってしまったが彼氏だし朝陽くんだし。
「わんわん、すき焼き?」
甥が卵黄に浸けた肉を朝陽くんに近づける。兄は犬を一瞬見るだけで結局は兄嫁が止めていた。こうして見ると兄夫婦も甥も幸せではあると思うが、決して苦手になるような関係ではなかったかもしれない。でも、甥の子守りは面倒、朝陽くん拾ったしもう悪者にはできない。
兄夫婦と両親が楽しそうに話す。父が酒瓶を出すと母は溜息をついて叱る。
「今日はこれから車で帰るから。今度来た時にしなさい!」
母に怒られる父の姿は情けなかった。
「肉美味かった」
朝陽くんを見ると皿の上が綺麗になっていて感心した。朝陽くんはいつも綺麗に完食していたことを思い出す。
「活発で楽しそうな空間だな。いい家族だ」
生きているうちに紹介したかったなんて朝陽くんには言えない。
「どこが嫌だったか分からない」
「俺がいるからかな」
「そうかも。けど母は朝陽くんをほとんど知らないよ。私が病院から帰って号泣してた時、私がデートに行ったら振られたことになってる。おしゃれして出掛けた娘がぼろぼろに泣いてたから仕方ないけど」
「くたばってたし振る余裕ないわ。それに今も大好きだし犬系彼氏つまり今も恋人」
「それはどうだろ?」
「ええ、別れたことになってる?」
「犬が人と恋人になれるかな。しかも幽霊なんでしょ?」
そこまで言って私は甥の視線に気づく。談笑している両親と兄夫婦は私の独り言に気づいていないようだ。
「雪ねえ楽しい?」
甥はご飯を頬に蓄えて言う。
ああ、私は何が嫌だったのか。
「つまらないときこんな笑顔じゃないでしょ?」
「笑顔、笑顔! 雪ねえが笑顔」
甥がはしゃぐ。初めて愛おしいと思った。私は単純だ、悲しさが乗り越えられなくてレンズが曇っていたみたいだ。
「ワン!」
吠える。甥が背中に乗る。朝陽くんが歩き出す。甥は楽しそうに笑って朝陽くんの耳を掴む。
「ひひゃっ」
テレパシーにしてはリアクションが大きい。くすぐったいのだろうか。それでも朝陽くんは走ったり跳んだりする。朝陽くんのことだから恩返しのつもりだろう。
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