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2:幻影の父
録画した映像を再生させる要領で、修平はリビングの虚空に父を創造する。
修平の父が正面の席に着いて語り掛ける。修平が1年生の時に語った話だ。
「岡山県の最低賃金なんて800円台だ。1日8時間働いても7000円すら貰えない。俺は健診のアルバイトで1日8万円貰える。どっちが良いか言わなくても分かるだろ? 病院にも行くけど、健康診断の方が楽だ。だって患者が健康なんだもん。病気を持った患者は健康な患者を相手にするより大変だぞ。患者や家族達を何度殴りたいと思ったことか。だからウンザリしちゃって逃げるように健診のバイトの比重を増やした。手取りは減ったけど楽だ。俺みたいな医者の中でも若い部類が、健診医ばかりしてもしょうがないんだけどな」
或いはこんな話もしてくれた。
「『時は金なり』とは勉強のことだ。俺は慶応大学の医学部に入りたかった。尊敬する学校の先生が慶応を出ていたからだ。でも俺は医学部を受験したけど落ちた。慶応大学に行くより医者になりたい気持ちが強かったから、地元の岡山大学の医学部に進んだ」
修平も同じだ。親子2代で慶応大学に落ちた。
修平の父は慶応に憧れていたから、こんな話もした。
「1万円札がどうして慶應義塾を創った福沢諭吉先生なのか。それは『学問ノススメ』を書いたからだ。
『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』
無学な奴はそこしか知らない。ところがこれには続きがある。
『されど人の世は賢き人あり、おろかな人あり、貧しき人あり、富めるもあり。
人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし。
ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、
無学なる者は貧乏となり下人となるなり』
つまり、福沢諭吉先生は自己責任の象徴なんだ。貧乏を選ぶな。金持ちを目指せ。そのために勉強しろ」
こう語った時の修平の父は、まさか1万円札が後に渋沢栄一になるとは思っていなかった。
修平は父と中々会えなかったが、父が自分のことを本当に思ってくれていると感じられて、勉強を頑張ることが出来た。慶応大学に落ちた時は一緒に泣いてくれたが、岡山大学に受かった時も一緒に喜んでくれた。
だから一人じゃない、寂しくない。そう思うことが出来た。
しかし正直もっと会いたかった。反抗期を経ぬまま卒業式の朝を迎えたのは複雑だった。互いに激しくケンカした後、絆を深めるようなやり取りに修平は憧れていた。
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