見捨てた少女は〇〇だった件について

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※  心地の良い夜だった。空に月が浮かび、夜風は昼間の喧騒を夜の向こう側に連れ去った。アルタ・マレーア王国ヴァイス領内にあるシュロス村も静かな夜を迎えていた。村人たちは布団に潜り込むものもいれば、内職に精を出すものもいる。そんな時間だった。しかし、そんな静かな村に例外があった。きん、きん、と金属のぶつかる甲高い音が聞こえてくる。金属とは剣のことで、行われていることは殺し合いだった。その戦闘は村の外れにある宿屋の中で起こっていた。  護衛のリチャードはいとも簡単に首を切り裂かれた。傷口は深かったが首と頭を両断されることはなかった。しかし、傷口からは血しぶきが舞った。さながら、くじらが水面まで浮上したときに吐き出す潮のようだった。血の匂いが部屋に充満した。リチャードが素晴らしかった点は深手を負ったにもかかわらず、立っていたことだった。そのおかげで、ロゼッタはもう一人の護衛タンペットと一緒に賊から逃げおおせることができたのだ。リチャードの目は賊を睨みつけ、くぎ付けにしていた。しかし、賊がたじろいだのはわずかな時間だった。賊はリチャードがなにもできないと確信すると手にした短剣の柄を握りなおして止めを刺した。リチャードになすすべは無かった。賊はリチャードの腹部から素早く短剣を引き抜くと窓から飛び出してロゼッタの後を追った。リチャードは倒れ込んだ。最後にリチャードは『何故、ばれたのだ』と言ったつもりだった。しかし、それが言葉になることはなく、切り裂かれた首から真っ赤な気泡がいくつか現れて、弾けるだけだった。  ロゼッタは夜の村を走った。月明かりだけが夜道を照らしていた。夜道は暗く、でこぼことした田舎の道はお嬢様育ちのロゼッタにとってとても走りづらかった。その時だった。ロゼッタはつまずいてしまい、足をくじいた。 「うっ・・・・・・」 タンペットはロゼッタに駆け寄った。 「大丈夫ですか?」 「大丈夫です。これくらいで立ち止まるわけにはいきません」  ロゼッタはそういうと立ち上がろうとした。しかし、くじいた足に痛みが走って思わずよろめいた。タンペットがロゼッタを支えると、足首を見た。 「ロゼッタさま! 足が・・・・・・」  ロゼッタの足は恐ろしく腫れ上がっていた。本来なら痛みで立ち上がることすらできないほどに見えた。しかし、ロゼッタはタンペットの視線から隠すように足を引いた。 「大丈夫です。タンペット先を急ぎましょう」 「ですが!」 「タンペット。婦女子の足をじろじろと見るのは行儀が悪いですよ」  ロゼッタは気丈にも冗談めかして笑った。涙を流したかったし、助けを求めてどこかに逃げ込みたかった。しかし、そのあとに起こりうることを想像すると、泣き言も弱音も痛みも何もかも握りつぶすことができた。タンペットは呆れたように肩を竦めた。すると、ロゼッタの前で屈んで、振り返った。 「ロゼッタさま。私の背中に乗ってください。この先の森の中に無人の小屋があったはず。そこで迎え撃ちます」  ロゼッタは「ありがとう」と言うと、足をかばいながらタンペットの背中に乗った。タンペットは軽々と立ち上がると、夜の村の中を走った。  村を抜け、森の中をしばらく走ると、その小屋はあった。タンペットが扉をゆっくりと開ける。普段この小屋は近くの村の木こりが休憩するときに使われている。タンペットが目を凝らして安全を確認した後、ロゼッタは足を引きずりながら、小屋の中に入った。タンペットが壁にかかったランタンを手に取り、火を点けると、小屋の中がぼんやりと照らし出された。まだ危険が去ったわけではないが、ともし火の暖かな揺らめきが恐怖で凍り付いたロゼッタの心をゆっくりと溶かしていった。しかし、そのせいで緊張が解けて今まで我慢していた足の痛みがロゼッタにどっと押し寄せてきた。 「うっ・・・・・・」  ロゼッタは痛みに耐えかねて、その場に座り込んだ。タンペットがすぐさまロゼッタに駆け寄り、椅子に座らせた。 「すみません。タンペット。少し足が痛いです」 「今のうちに手当をしましょう」  タンペットは自分の服のすそを短剣で裂いた。それを包帯代わりにして、ロゼッタの足に巻き付けた。 「当座はこれでしのげるでしょう。本当は医者に見せたいところですが」 「ありがとう、タンペット。これで充分です。それに首都ヴァイスまであと少しなのだから、これくらいの怪我、我慢できます」 「ははは、意地っ張りのロゼッタさまがそうおっしゃるのなら間違いない」  タンペットは快活に笑った。逃げているときに感じていた不安がひげ面の大男の笑い声で一蹴された。なんと頼もしい騎士なのだろうかとロゼッタは改めて思った。 「それにしても、賊は何者でしょう? 変装までして入国したにも関わらず、ここに来て突然の急襲。それにリチャードが・・・・・・」 「あやつらは、おそらく<狩人>です」  ロゼッタは目を剥いて驚いた。 「そんな・・・・・・」  そのとき、小屋の外にある低い階段をのぼってくる音がした。ゴツ、ゴツ、と足音を隠しもせずに堂々と近づいてくる。 「ロゼッタさまは奥に」  ロゼッタは何も言わずにうなずいた。棚の陰に身を隠し、扉をジッと見据えた。タンペットはランタンの火を吹き消し、扉の裏に移動した。足音の主は階段をのぼりきったようで、足音を立てながら近づいてくる。  ロゼッタは自分の心臓が走っていたときよりも大きく鼓動しているように感じた。一回の鼓動で血が全身を三回は回っているのではないかと思った。大きすぎる鼓動の音を体の外へ漏らさないようにとロゼッタは手のひらで胸をグッと抑えた。その時、ロゼッタの手のひらは胸の柔らかさとは別に丸くて硬い感触をおぼえた。その正体は赤銅色の円盤だった。ロゼッタはずっしりと重みのある円盤を強く握った。ロゼッタの父は赤銅色の円盤について口癖のようにこう言っていた。 『この円盤、<盟主の証>はアルタ・マレーアとの友好の証だ。しかし、絶対にアルタ・マレーアにこの円盤を渡してはならない』  ロゼッタはゆりかごにいるときからずっと父のこの言葉を聞いていた。にもかかわらず、ロゼッタの父はロゼッタがデゼルトを出る前日、<盟主の証>を託し、こう言ったのだ。 『<盟主の証>を持ってアルタ・マレーアに行け。そして、お前が王を選べ。いいか、デゼルトを救えるのはお前と、新しい王だけだ』  扉の前で足音が止まる。タンペットは懐から短剣を引き抜いた。扉がゆっくりと押し開かれ、蝶番がきしんだ音を立てる。扉の先を見てロゼッタはぎょっとした。差し込んでくる月光の中に真っ黒な人影がたたずんでいたのだ。扉の前に現れた人物は足元まである真っ黒な外套に身を包み、顔は外套についている頭巾をかぶっているせいで窺い知ることができない。それは見るからに不吉な人影だった。ロゼッタは気づかなかったが、その人物が小屋に足を踏み入れた時、赤銅色の円盤が赤黒く発光した。その光はその不吉な影とおなじくらいに不気味だった。
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