第3話 ありえない日常

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話しかけるのに疲れてしまい、手足を伸ばしてソファに寄りかかっていると 下に座っていた彼がコーヒー片手に熱心に本を読んでいる。 「その本、おもしろいですか」 「うん」 「読んでみたいので今度貸してもらえませんか」 「やっぱり小説家でも他の本を読んだりするんだ」 「まあ、参考になるし違う価値観を共有するのもいいかなと思って」 「なるほどね」 彼は何となく納得したようだったので安心していると本に集中していたはずの彼が目の前にいたので思いきり後ずさってしまった。彼は不満そうに顔をしかめた。 「そんなに拒否られると地味に傷つくんだけど」 「だって、川崎さ…陽太さんがすごく距離が近いから」 「そう?いつも俺はこれくらいだけど」 「全く、あなたにパーソナルスペースってものはないんですか!」 「ないね、気にしたこともない」 やっぱりなぁ、そうだと思った。そういうことに疎そうだもんな。この人。 「あ、今、なんか失礼なこと考えてたでしょう」 図星をつかれて私は慌ててスプーンを取り落としてしまった。何なのこの人、今、私の心を読んだ?! 「読んでないよ」 「ちょっ…!なんで分かるんですか!」 「んー、物心つく頃から聞こえていたかな」 ほんとにそんなことってあるんだ。え、でもそれじゃあちょっと待って。私の心を読めるってことは私の気持ちにも気づいてるってこと?やだやだ、ちょっと恥ずかしいんだけど! 「まあそうだとしたらおもしろいよねって、あれ?」 「は?」 「ひょっとして信じた?」 「信じてません!」 「じゃあ、なんでそんな困ってるの」 ますます距離を詰めてくる彼に思わずたじろぐ。だまされちゃだめだ。どうせ私のことからかっているに決まってる。 「困ってなんかいません。あなたをどう困らせてやろうか考えてただけです」 「ふうん。で、思いついた?」 「いえ、何も。でも今度こそ負けませんよ」 「そっか、楽しみにしてる」 「後悔しても知りませんからね」 完全に拗ねて顔を背けてしまった私を見て彼はくくっとおかしそうに笑うと、テーブルに置いている飲み終わった私のマグカップを片づけ始める。 何だろ、この人といると不思議と落ちつく。武装しているときは女子力アピールのためにあれこれ取り繕うことが多いからエネルギー使うけど、家族でもない赤の他人の彼と一緒にいてこんなに気を許してしまうなんて。一体私はどうしてしまったんだろ。 結局、あのまま夕方近くまで彼の家にいてひたすらダラダラしていただけ。でもそういう時間も必要だと思った。素の自分を受け入れてもらえるって大事だよね。さて、夕ご飯何にしようかな。彼は肉とか好きなんだろうか。ってちょっと待って、なんであいつが出てくるのよ。別に一緒に暮らしてるわけじゃないんだし。 はぁ、どうしよう、自分でも分かる。重症だわこれ。さっき別れたばかりなのに、どこにいても寝ても覚めても彼のことを考えてしまう。ついに私も恋の呪いの洗礼をうけてしまったらしい。 愛なんて幻想にすぎない。なんて聞くけど、その幻想に賭けてみてもいいかもしれないと思った。次こそは勝つと 沈みゆく夕日に誓った。
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