第7話 運命の4人

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私は後ろからついてくる彼の気配を背中で感じながら落ちつこうと自分に暗示をかけていたが、心中は穏やかではなかった。勢いで店を出てしまったなけど、何で、どこまでついてくる気なの?相手の考えてることが全くわからない。このまま家までついてくる気かしら。とりあえず立ち止まったらどうするかな。 「あの」 「何?」 「何でついてくるの」 「俺もこっちだから」 「私、今日はどこも行かないから。帰ってハリーポッターを見たいし」 「俺ももともと外出する予定なかったから、このあとは帰るだけだし。あんたが帰るみたいだから便乗しただけ」 「そう…なんだ」 何とも言い難い沈黙が続き、私は逃げるように階段を駆け上がるとドアの前で恐る恐る振り返る。彼がのんびり私に追いついてきた。 「あの、そういうことだから、じゃあ、またね」 「ああ、ゆっくり楽しんで」 相変わらず抑揚のない声だけど、顔が笑っているようだった。休みだというのに何の予定もなく自宅でファンタジーを見るしか楽しみがない痛い三十路女と思われただろうか。でもそんなの向こうだって同じだ。いい年してデートする相手もいないのかな。誰とも会わずこんな真っ昼間から部屋に籠もって趣味の世界に浸ってるなんてなんて滑稽なのだろう。ああ、だめ。やめよう。何を言っても全部自分に返ってくるだけだ。 気分を変えたくて借りてきたDVDに目を通す。よし、見よう!今日はファンタジーの世界に浸ろう。私はなぜか部屋に明かりをつけずに見始めた。やっぱり本もいいけど映像もいい。私はどちらかというと原作派だ。あの文の描写からその風景や場面、キャラの雰囲気をいろいろ想像するのが楽しいし好きだ。文だけなのにどんな世界観で主人公はどんな気持ちでとか、想像力を掻き立てるあの言葉の魔法に魅入られたのが私が小説家になろうと思ったきっかけだ。小説だけでなく私は絵本の頃から本が好きだった。 映像は映像で、本では言い表せないスピード感や画像の美しさを補ってくれるのでこれはこれでいい。ハリーが空を飛んだり魔法を使ったりする時の閃光。あの独特な世界観とそれを彩る音楽。それが合わさってより、立体感を生み出していると私は思う。 だから夢中になるのだ。息つく間もなく物語に釘付けになり、その世界観に憧れる。私は気付けばペンを手に持ちこえ高に叫んでいた。 「エクスペクトパトローナム!」 誰も見ていない、聞いていないからこそ気持ちがより高まり高揚感で満たされる。この呪文は三作目のアズカバンの囚人で伯父のシリウスを助けようとしたハリーが修行した守護霊を呼び出す呪文だ。実は今まで一度も成功していない中のあの場面。もう私は涙が止まらなかった。 興奮さめやらぬまま、エンディングを名残惜しんだ後スイッチを切ると、ソファに寝転んだ。ただでさえ影響されやすい私である。もう頭の中はファンタジーとメルヘンで覆い尽くされている。そんな時、手元のスマホが青く光った。LIMEだ。 「さっきさ、なんか叫んでなかった?大丈夫?」 その文面をぼんやり見ていた後、私はそれが彼からだと気づき、慌てて起き上がった。 「え、気のせいじゃないですか」 「そっか、呪文が聞こえた気がしたんだけど」 …聞こえてたーーーー!!ばっちり隣に響いてたよ。どうしよう。恥ずかしすぎて死にたい。でもでも彼からメールしてくるなんてなかなかないし、何気にこれがメールでの初めてのやり取りだし。私は開き直ることにした。 「ええ、呪文唱えてましたけど何か」 その後、しばらく間があいたがすぐに返事が帰ってきた。 「だよな。俺もやったからわかる」 ええーーー!陽太さんもやったの?あの顔で?あの氷のようにクールぶった彼が?み、見たい。彼が興奮しながら呪文唱える姿見てみたい。 「えー、その姿見たかったなぁ」 「え、死んでもやだ」 ですよねー?!私もそうだもの。でも、ああ。彼と見たらもしかして違う楽しみがもっとあったのかななんて思うとちょっと勿体ない気がした。まあ私は映画見てるといろいろ突っ込んでしまう癖があるので、うるさいと思われるかもしれないが。この後はネタバレ満載でお送りします。 「今回、ハリーが頑張ったよね。車で突っ込んだり、ハグリットのペット事件から助けるために奮闘したり、シリウスがいい人とわかってるからハリーとの初めの関係はなんかいたたまれなかったけど」 「ああ、それな。俺もハラハラしたよ。あの悪人面だ。誤解されても仕方ないけど名づけ親で父親の友達で実はいいやつだったなんてな」 「かっこいいよね、脱獄したのもハリーを守るためでしょ。悪者に思われてもいいから息子同然のハリーに危機を知らせたかったわけだし」 「男気あるよな、俺はルーピンの胡散臭いキャラも好きだよ」 「ルーピン先生もやさしいよね、あの人が来なかったらハリーは死んでたかもしれないし、ほんとキーパーソンだったよね」 「まさか悪党がロンの鼠に化けてたなんて思わなかったしな。あれは鳥肌立った」 「だよね、なかなかずるい奴だったしね。ハリーの親をブォルデモートに売った卑怯者だからね」 「ディメンターは顔もないしマジで気味悪かったな」 「ほんとほんと、夢に出てきそう。しばらく怖くて眠れないかも」 「はは、大げさな。案外、怖がりなんだな」 「いや、あれは幽霊より怖いって!本で見るよりリアルすぎて」 「そういや本持ってるんだっけ、なんか本も読みたくなってきたな」 「読みたいなら貸そうか?全巻あるよ」 「いや、さすがに全巻は。アズカバンだけでいいよ」 私はそこでメールを打つのをやめた。ていうか隣にいるのにずっと文字でやり取りって。なんかまどろっこしくなってきた。もう直接会って話したい。彼の顔が見たい。 勢いのまま玄関に走り、ドアを開けるとその横には驚いた顔をして同じくドアを開けている彼と目があった。 「あ!」 「えっ!」 「ど、どうしたの?」 「そっちこそ」 「わ、私は本を読みたいっていうから」 「俺も読みたいって思って、取りに行こうと思って。それに」 「それに?」 「…直接、話したいと思って」 「えっ!」 私は不意に零れ出た彼の本音に頬が熱くなるのを感じた。ついででもいい、私に会いたいと思ってくれた。それだけでもう十分すぎるくらい嬉しい。どうしよう、顔がにやけてしまう。 「私も、か、顔が見たくて」 って何を言ってんの私は。と、とりあえず本を貸すために来たんだからまずは渡さなきゃ。 「あの、これ。持ってきた」 「これがさっき言ってた。ありがとう」 きっと手渡したら最後、今日はここでさよならしなくちゃいけないよね。やだな、まだ別れたくない、もっと一緒にいたい。 「あ、あの」 「うん?」 どうしよう、思わず引き止めちゃったけど、この後どうしよう~何も考えてないよ~ 「続きする?」 「へ?」 「話の続き。まだ話したりないんだろ」 「え、あ。そう!そうなの。話足りなくて。ほら、近くにいるのにメールで話すのもなんか変だし。よかったらうちでお茶でもどう?」 よかった。私の好意がばれちゃうとこだった。ごちゃごちゃと言い訳しちゃうのは私の悪い癖だけど。これなら自然な成り行きで一緒にいれる。というかもしかしたら察して私の気持ちを汲んでくれたのかな。だとしたら彼も。 「じゃあお言葉に甘えるかな」 「う、うん。どうぞ」 お互いの思惑も分からぬまま、私は玄関に彼を招き入れるとゆっくりと扉を閉めた。
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