虹の少年

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虹の少年

『かつて世界は、夜空に瞬く星の数ほどもあった。世界の人々は『絶対者(ルーラー)』によって護られ、平和に暮らしていた。  しかしある日、最も力ある絶対者(ルーラー)の一人リマエニュカが仲間を裏切り、世界を呪われし混沌の世界へと作り変えた。  怒った他の絶対者(ルーラー)達はリマエニュカを追放し、唯ひとつ残された『一なる世界』を見守る為、テンの海に『神の星(ウィラ)』を造った。』 (『界変記(かいへんき)』第一章 第一節)  ***  木漏れ日の林道を、ゆったりとした速さで荷馬車が抜ける。時折弾む木製の車輪。こんもりとした荷台には薄革の(ほろ)が被せられ、荒縄でしっかりと留めてある。  そしてそれを()くのは『機械馬(きかいうま)』と呼ばれる、生物とも機械ともつかぬ人工生命体。――前後の脚が支持棒となってタイヤを挟む、二輪車の如き鈍色(にびいろ)の馬である。 「あ……」  その奇怪な馬を連れてトボトボと歩く虹色の髪の少年は、ふと顔を上げると同時に声を漏らした。  道の先には、木に背中を預け俯いている少女の姿。――珊瑚色のワンピース。その胸元に、右前だけを細く三つ編みに結った、ミルクの様な白い髪が垂れている。女性としてはまだ五分咲きほどの、しかし可憐な花である。  自分と同じ年頃の彼女を見て、少年はその名を呟いた。 「ツキノ……」  すると彼女もはたと顔を上げ、その少年の許へ、裾を(なび)かせながら小走りに駆け出してきた。 「エリオン!」と、朗らかに少女。  生成り色の麻の上下を着た少年――エリオンは馬とともに足を止め、笑顔で走ってくる少女を迎える。自分よりも少し背の低い彼女に、しかしエリオンは表情を微かに曇らせて言った。 「子供が蟻塚を出たらダメじゃないか、ツキノ。この辺りはゴブリンだって出るんだよ?」  彼が軽く(たしな)めると、ツキノの顔から笑顔が消え、尖らせた口元から不平を漏らす。 「なにその言い方。平気よ、ここなら結界まですぐだもの。それにアナタだってまだ子供じゃない」 「僕はドトの手伝いだからいいんだよ」 「なら私だってそうだわ。フェルマン先生の薬草を採りにきたんだから」  そう言い訳する彼女の手には、草を刈り取る為の鎌も、それを入れる袋も見当たらない。そもそもこの林道には、薬草になる植物など生えてすらいないのであった。 「薬草なんて、フェルマン先生ならデバイス石で作れるじゃないか」 「フェルマン先生ならね? でも私の操作権限じゃ創造できないもの。私は自分の手で薬草を届けたいの」  言い張るツキノにエリオンは小さな溜め息を吐きつつも、しかし本当は彼女が自分を心配して、わざわざここまで出迎えに来たのだろうと察して、困り顔の微笑を見せた。――少年ながら、そして男性ながらも、美しいという表現が合う笑顔であった。 「それでアナタの保護者のドトさんは、一体どこにいるのかしら?」とツキノ。 「見張り場のギネさんに石を届けてから帰るって。矢の残りが少ないんだってさ」 「敵が来ないのに、どうして矢が減るのかしらね」と、不満そうに鼻を鳴らす。 「きっと狩りに使うんだよ」  言いながらエリオンは、荷馬車の横に回って(ほろ)と紐の留め具を締め直す。するとツキノも心得たように、荷の反対側に回って紐を引っ張って掛け直した。 「だったらナイフを使うべきだわ。鉱山市だってデバイス石は貴重なんだから」 「ギネさんは弓の名手だから……」 「なによそれ」  ツキノがふてくされて先に歩き始めると、エリオンは取り付く島を求めるように機械馬の顔を見た。しかし馬は我関せずとでも言わんばかりに、ブルルと細かく首を振る。そして小さな主人を置き去りに、(おもむろ)に車輪を回し始めた。 「困ったな……」  エリオンは軽く頭を掻くと再び溜め息を吐いて、早足に少女達の後を追っていった。  ***  鉱山市ティルニヤは、その名の示す通り採鉱を主産業とした小国である。領地は南北に約8キロメートル、東西に約20キロメートル伸びており、小さな森と砂漠、そして半分は山脈で構成されている。  森林がプツリと途切れた先に広がる乾燥地帯の真ん中には、『蟻塚(ありづか)』と呼ばれる巨大な高層集落があり、5千人程の人々がそこで暮らしている。そしてティルニヤにおいて町と云えば、この蟻塚を措いて他になかった。  蟻塚は、薄茶色をした大小真四角の石の家を、まるで子供が無造作に積み上げた様な(いびつ)な円筒の構造物で、直径250メートル、高さは800メートルに及ぶ。そして中央にはそれよりも高い金属の大樹――『アイオドの樹』が神々しく(そび)えており、それが水脈から吸い上げる地下水を利用して生活しているのであった。  夜――満天の星空の中に、山脈から顔を出した紅い月が粛々と浮かぶ。  無数の小窓から漏れ出すオレンジ色の四角い光が、冷え切った砂漠に佇む蟻塚の内外を、暖かなイルミネーションの如くやんわりと照らしていた。 「もう、エリオンったら! まだ支度してないの?!」  狭い家屋の扉を、破るような勢いで開けて入ってきたツキノの第一声。木机の上で小さな白い立方体の石を、大きさごとに選り分ける作業をしていたエリオンは、彼女の剣幕に驚いて顔を上げた。 「え――?」 「え、じゃなくて! 今夜は『登録の儀』でしょ? 忘れたの?!」  (まく)し立てるツキノは、紺と朱色の生地に金糸で複雑な刺繍が施された、末広がりの貫頭衣(かんとうい)を纏っていた。一方のエリオンは、昼間森で出会った時と同じ普段着のままである。 「ドトさんはどこへ行ったの?」 「さっき出ていったから、いつもの酒場じゃないかな?」 「呆れた……。それでアナタ儀礼服は?」 「儀礼服? え、えーっと……どこだったかな? アハハ……」  ばつが悪そうに作り笑いで誤魔化すエリオンに、ツキノの荒い鼻息。 「もういいわよ。おばあちゃん()に兄様のお古があるから、それを借りましょ」  そう言うと彼女はエリオンの袖を掴んで、彼を引き摺るように小屋を出た。  *** 「まあ、ピッタリね!」  手を叩いて満面の笑みを浮かべたのは、ツキノの祖母。綺麗な白髪をした穏和な老婆である。 「あの子が亡くなってからずっと仕舞ったままだったけれど、どこも傷んでないわね。大丈夫、これでいってらっしゃい。エリオン」 「ありがとうございます」  暖かな小部屋の中で、ツキノと同じ儀礼服を着たエリオンが丁寧に頭を下げる。するとツキノが急かす。 「もう行かなきゃ、儀式が始まっちゃうわ!」  彼女に背を押されながらエリオンがもう一度会釈をすると、祖母は「頑張ってね」と一言。そして右手をこめかみに、左手を胸に当てて。 「神の御意志(アルテントロピー)に導かれんことを――」  そう呟いて、影の中へと走り去っていく二人の背中を見送った。
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