第一章 旅立ち

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座右 堂ノ新は、行きつけの一膳飯屋で今日も店のお薦め定食を食べている。 安くて比較的量があり、良心的な店である。 今日は、給金が出て懐具合がやや暖かい。 「酒を一本下さい」と、ザ・ドは店の小女に注文した。 ザ・ドとは、座右 堂ノ新(ざゆう どうのしん)のことで、誰かがそう呼んだことからこの周辺での通り名になってしまった。 堂ノ新はそう呼ばれることには一切気にしていない。 「俺は俺さ、人がどう呼ぼうと」と、割り切っている。 浪人生活を満喫しているうちに些細なことには無頓着になってしまっていた。 浪人になったには、実は訳があったのであるが心に秘して誰にも打ち明けたことが無い。 端正な顔立ちと目から鼻に抜ける知的な雰囲気がたまらないとザ・ドを知っている小町雀が小うるさいほどザ・ドにまとわりつく。 「ザ・ドさま、今日はどちらへ」、「たまには、お誘いくださいな」とか、 見知った近所の子供を使って付け文をよこす娘もいる。 そのような女の姦しさには見向きもしないザ・ドであった。 ザ・ドは浪人ではあるが剣士でもある。 幼き頃から父に仕込まれた神通一刀流の継承者であった。 都のやんごとなき家系に面々と受け継がれてきた剣技である。 一旦剣を抜けば、一介の素浪人とは思えない雅で気品のある立ち姿で剣を構えるザ・ドである。 ザ・ドは山の中で鹿を追って猟を行い、大鹿一等を仕留めて家に帰ると、父は割腹自殺をしていた。 数通の書状が残された。 父は実父ではなかったのである。 父は幼子のザ・ドをかくまい育ててきたのである。 実の父母の名が遺書に記されていた。 二人とも既にこの世の人ではなかった。 今、都で権勢を振っている関白によって追われた皇族の子孫であることを知らされたのである。 が、ザ・ドには実感が沸かなかった。 今まで父とばかり思っていた人が、その実は養父であり、実父は既に滅ぼされた皇族であると言われても俄かには信じられなかった。 ザ・ドに襲えるものが無くなった今、ようやくザ・ドの両親の後を追えることができる、今までのつらい仕打ちを許してほしいと綴り終えていた。 衝撃の事実より、厳しさの中に優しさを持って育ててくれた父の死に涙したザ・ドであった。 父だとばかり思っていた人に許しを請われて心の整理が暫くつかなかった。 父の遺骸を父が好きだった桜の木の近くに埋葬してザ・ドは住み慣れた家を 離れた。 一旦、都に出てから一路江戸を目指して旅に出たのである。
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