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第一章
温かな紅茶と甘いお菓子の匂いが辺りを包み込む。
カチャカチャと食器が触れ合う音と人々の談笑を耳にしながら、ガブリエラはスコーンに手を伸ばし、ベリージャムをたっぷりとつける。その目は赤く腫れ、頬には涙の跡が残っていた。
「美味いか?」
幸せそうな顔をして頬張る彼女に問いかけるのは、新聞を片手に紅茶を啜るシシクだった。ふたりが寛いでいるのは、ティーハウスの一角。安い店では治安や衛生面が心配だからと高級店に入ったものの、一労働者であるシシクの懐は寂しく、自分の分は一番安い紅茶のみにしたのだった。
とはいえ、今は仮の姿。側から見れば、ふたりは子女と従者ではなく一般市民の兄弟だ。まるで、秘密のデートをしているようで、ガブリエラは何処か擽ったさを覚えた。
「ええ、とっても!」
笑顔で応え、ガブリエラはケーキをフォークで分ける。
「ひと口食べる?」
「ああ、貰おうかな」
シシクが頷くと、ガブリエラは分けた分を突き刺し、そのまま彼に向けて腕を伸ばした。シシクは腰を浮かして、自ら差し出されたケーキを口にする。彼女も残りの欠片を口に運びつつ、「どう?」と感想を求める。
「甘い。俺も頼めば良かったな」
「頼みましょうよ。今からでも遅くないわ」
「いや、やめておく。あんまり金持ってないし、食べ切れないかもしれないから」
「その時はわたしが食べるわ!」
自信満々に腰を手に当てる少女。その姿に、彼女の父親のふっくらとしたお腹が過ぎる。
「そんなに食べたら、旦那様のようになっちゃうんじゃないかな?」
冗談混じりに口にしたのだが、ガブリエラは「それは死んでもイヤ!」と悲鳴をあげた。雇い主には悪いが、効果はてきめんだったようだ。反抗期と思春期真っ盛りの娘に毛嫌いされる父親に同情しつつ、今度から積極的に使っていこうと心に決めるシシクだった。
「そういえば、いつから気づいていたの? わたしが尾行してたこと」
「マナーハウスを出てすぐだ。妙に視線が刺さるし、ずっと同じ足音が聞こえてくるし。路地裏に入った時に、後ろでガブリエラに似た背丈の子供が物陰に隠れていたのを見つけたんだ。それで、まさかと思って」
「は、早いわ……」
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