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プロローグ
濃い霧の中をひとりの少年が進む。コソコソと物陰に隠れながら、膨らむ期待に大きな目を輝かせて。そんな小柄な彼の視線の先では、長身の青年がふらりと歩いていた。鳥撃ち帽の隙間から黒髪を覗かせた彼は、この国では未だ珍しい東洋人だ。
ふと、青年が背後を振り返る。少年は慌てて被っていた帽子のつばを掴み、顔が見えないようにした。まとめ上げた淡い月色の髪がほつれたことにも気づかず、青年が再び歩み出すとホッと一息吐く。
「もう、驚かさないでよシシクったら」
潤った唇から漏れたのは、鈴のような声だった。翡翠の瞳は好奇心に満ちており、青年の後ろ姿を捉えて離さない。
彼??否、彼女の名は、ガブリエラ・クロフォード。
新興ブルジョワと称され、準男爵を賜った商家・クロフォード家の一人娘であり、東洋人の青年・シシクの主人である。そんな彼女が何故、男装して彼の後をつけているのか。その理由を語るには、まず今日の朝まで遡る必要がある。
ガブリエラの従者であり、兄代わりであるシシク・サクラマ。彼に割り当てられた数少ない休日は、決まって主人が勉強漬けで屋敷から出られない日だ。そのため、ガブリエラは彼と顔を合わせることすらままならず、代わる代わるやって来る家庭教師にうんざりする羽目になる。それは彼女にとって最悪な一日だった。
だが、今日はいつもと違った。午後から予定していたヴァイオリンの教師が急遽来られなくなったのだ。予定が潰れてしまったガブリエラはシシクの元へと向かいたかったが、一日中休暇を貰っている従者と遊ぶのは契約違反であり許されなかった。また、彼女は婚約者のいる身であり、年頃の娘だ。この時代、異性との交遊は好ましく思われていなかった。
しかしガブリエラは、それをチャンスと捉えた。彼は極東の島国ヒノモトの出身と自称しているが、詳しい出自は不明だ。このクロフォード家に仕える前まで何をしていたのか、どうやってこの国に渡って来たのかさえ知らない。そんな彼の秘密を暴くことができるかもしれないのだ。止まることを知らないガブリエラの好奇心が、この好機を見逃すはずがなかった。
シシクの行動は大体把握していた。仕事の疲れを癒すためか、午前中はぐっすり眠っている。今朝もこっそり屋根裏部屋に上がり確かめると、毛布に包まり寝息を立てる従者の姿があった。
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