第1章

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 手のかからない子と誰からも言われて育った。急にそんな言葉が、わたしの脳裏に浮かんだ。なぜだろう。  朝の光を反射する洗面台の鏡の前で、出勤前に髪をセットしていた今、脈絡のない思考は押しやって、次々と身支度を進めなくちゃ。パンツを穿き、シャツの上にジャケットを羽織る。わたしスカートはあまり持っていない。  忙しくても朝ごはんは食べないと身体に悪い。一食分に小分けして冷凍しておいたご飯をレンジで温めて、インスタントの味噌汁と卵と海苔で朝食を済ませる。  食器を洗いながら、窓辺に置いてあるサボテンに「おはよう」と声をかけた。生きているものが好き。犬を飼ってわたしの帰りを待たせたい。それが、わたしの今の夢。  サボテンは水やりをサボっても青々としている。人差し指で棘に触れた。一瞬、眼の前に何かのイメージが拡がった。何かは分からなかったが、目眩のよう。不思議だ。  アパートから最寄り駅まで徒歩十五分、そこから電車で直通で約四十分。途中、大きな河を越える。故郷の自然の中で遊んだ幼い頃を思い出す。  都心の地下鉄の駅の長い長い階段を登った先から、少し歩いたところにあるビルの五階が、わたしの職場だ。今、八時半。今日も同じ時間に着いた。早く着きすぎて、後輩たちにプレッシャーになってもダメだから。 「おはようございます。チーフ」 「前みたいに、さくらさんでいいよ」  〇〇株式会社営業支援部電算課第一電算係第二グループチーフが、九月からのわたしの肩書き。四人の部下、じゃなくて後輩たちを率いて、でもなくて、一緒に仕事している。 「チーフ、聞いてくださいよう、昨日田所さんが……」といきなり愚痴を言ってくるのはエミ。すぐわたしに甘えてくる。それが彼女の世渡りの仕方だ。 「はーい、話はランチタイムに聞くから、まず今日の準備して。山口さんは、元気?」  はい元気です。と低い声で返すのは、山口ひとみ。彼女は朝は苦手だ。わたしの二年後輩のひとみは、頼れる片腕だ。  九時の朝礼後、係長に呼ばれた。第一電産係は女ばかりの職場、係長以上が男性だ。 「渡辺くんのグループのパフォーマンスは、最近いいね」  係長がこんなことを言い出したら要注意。 「実は、営業課のミスで、ウチに支援の指示があるかもしれない……大したことないだろうが、その時は頼むよ」 「はい、わかりました」
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