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菊村が出発して三十分程が過ぎた頃、救急車やパトカーがけたたましいサイレンを響かせて、菊村軍団の前を慌ただしく走り過ぎて行った。
トンネルの崩落事故だった。
ここ数日続いた暖気がもたらした、自然の悪戯と呼ぶにはあまりにも衝撃的な出来事である。
この事故で、定期バスが一台と、乗用車が三台巻き込まれ、その中には菊村も含まれていた。
救助活動は夜を徹して続けられたが、巨大な岩盤が更に崩れ始めていたので作業は難行し、全員をトンネルの中から掘り出すのに一ヶ月余りの時間を要し、生存者は無かった。
菊村は、普段から装飾品や時計などを身につけない男だったので、遺品と呼べるものは折れた釣竿と、壊れた釣り道具の他には殆んど見当たらなかったのだが、唯一、札入れの中に一枚、黄ばんで朽ちた写真があった。
写真の裏には「妻子と共に、定山渓温泉にて。命日、昭和六十年三月十八日」と、菊村の字で書かれている。
菊村がかつて、交通事故で負った傷は、頬に残されたモノだけではなく、もっと深いところにあったのだと確信するとともに、菊村の中に棲んでいた何者かに漸く行き当たった思いがした。
私はこの日を境に、マティーニにオリーブを入れるのを止めた。
そして、菊村の折れた竿は、今でも私の店の片隅に立て掛けられている。埃を被ったままの私の竿の隣に・・・。
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