マティーニ

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 菊村は、酒と女と釣りを好む豪快な男だった。豪快というよりも、自己破滅型と言った方が相応しいのかもしれない。一度酒を飲み始めると吐くまで止まらない。いや、吐いても止まらない、そんな男だった。  菊村の左の頬には、数年前の交通事故で負った傷があり、そのことに触れようとすると、僅かに憂鬱そうな面持をしたのち、愛しそうに傷跡を撫でるばかりであった。  菊村と私は魚釣りを通して知り合い、その昔は、北海道内はもとより、海外にも一緒に出かけて行っては釣りをし、寝食を共にしていた仲である。  私よりも八つ程年上の熱血漢だったが、感性も外見も若く、私ともよく波長が合った。とにかくその頃、菊村と私はいつも連れ立って飲み歩き、釣り歩いていた。  ススキノの場末で床屋を営む菊村の腕は、その業界でも有名なほどの職人技で、札幌市内の職人たちが、その技を盗みに来るほどだった。  しかし、菊村は、そんなこともお構いなしに、気が向くと時間も気にせず店を閉めて釣りに興じていた。きっと、菊村の心の中には、釣りをすることでしか埋められない何者かが棲んでいたのだろう。
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