マティーニ

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 菊村の、帰り際の決まり台詞であった。  翌年の冬、一度だけ菊村から釣りに誘われたことがあったが、パーティーの予約が入っていたので断った。どうやら菊村は、縁起を担ぎたいらしく、あの日の話しを繰り返していた。  「世捨て人には付き合えないよ」と、冗談のつもりだったのだが、無下にしてしまったのが悔やまれる。  三月になると寒さも緩み、日中の陽射しは道路の氷を解かし、南西風に春の日向臭い匂いをつけ始めた。  そんな、のどかな春の日を迎えようとしていた三月十八日に、菊村は島牧海岸に立っていた。そして、自己記録を塗り替えることとなった。二尺五寸の雨鱒を釣り上げたのだ。  その時の菊村の目の縁には、あの日よりも深い皺が刻まれていたという。  菊村は、前もって魚屋から貰ってきていた三尺余りの発砲スチロール製の細長い箱に雪をすくって入れ、その中に二尺五寸の雨鱒を横たえて蓋をした。  「今日は、こいつの刺身を肴にマティーニさ・・・、お前等も後で来いや」  菊村軍団が聞いた、菊村の最期の言葉だった。  菊村は、魚の入った箱を横抱えにして自分の車に乗り込むと、夕闇の迫った島牧の海岸を後にした。
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