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昼から早めに戻ったら、岬さんが席にいた。机にお弁当箱の小さな包みがあった。
「今日、お弁当だったんですね」
と声をかけると、彼女は椅子ごと僕の方を向いて、
「上野さん、先週はありがとうございました。ご挨拶遅くなりました」
と、座ったまま深くお辞儀をした。慌てて頭を下げてから、デスクの隅に置いておいた紙袋を渡した。
「こちらこそお世話になりました。これ、以前にお好きだとおっしゃってたので」
土曜の朝は晴れて、英司はまた帰りにパン屋に寄って、マドレーヌを買ってくれた。
「あっ、あのマドレーヌ」
岬さんは中を覗いて、嬉しそうな声をあげた。
「でもこれ全部?」
「はい、岬さんに」
「まあ、ありがとうございます、どうしよう、今日中に全部食べないようにしなきゃ」
「まだお昼ですから、今日中に余裕でいけますよ」
岬さんは微笑んだ。
「木曜はどうでしたか?」
「いろいろ初めてで、面白かったです」
「そう」
背後の自分のデスクに紙袋を置いてから、彼女はもう一度僕を見た。
「帰り際、ご挨拶しようと思ったの。私、金曜有休でしたし」
「あ、はい」
「あなた、ふと帰られたので」
「申し訳ありません。少し急いでました」
「いいんですけど、あの、藤尾さんと以前からお友達?」
もし誰かに見られていたら、こう言おうと考えていた通り、
「顔見知り程度です。お話ししたのはほとんど初めてでした」
と答えた。
岬さんは少し首を傾けて、ふむ、と無言で頷き、それ以上何も聞かなかった。
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