一章 消えた友達
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一章 消えた友達

1 ――俺が、その店に入ったのは、ただの偶然に過ぎない。 特に有名なわけでもないし、行列が出来ていた訳でもない。 道を歩いていた途中、なんとなく目に入った。木製の看板を掲げた店構えを目にして、何気なく足がそっちに向いただけ――。 (茶房……はる、なつ、ふゆ……なんて読むんだったかなぁ、これ) あぁ、そうだ。秋だけないから、あきなしだ。 ――そんな事を考えながら引き戸を流せば、「ちりん……」と高く澄んだ音がして――店内にいた二人が、一斉に俺の方を見た。 一人は、カウンターの中にいて、この店の店長だろう初老の男だった。 もう一人は、カウンターの一番奥の椅子に腰掛け、悠然と足を組んで俺を見ていた。 観察するような視線を向けられ、初めは一見さんお断りの店なのかと身構えたが、初老の男がにこやかに「いらっしゃいませ」と中に促してくれたので、俺はぺこりと一礼して中に入った。 「……君の客だな、店主」 「はい」 気安い会話から、俺は不躾な視線を向けてきた男が店の常連だと察した。 ――パッと見、芸能人かと思うような、華やいだ容姿の男だった。 俺が、わざわざ奴とはだいぶ距離を空けて……反対側の端に腰を落ち着けたというのに、動物園の動物をみるような目でこっちを見てくる。 客も、コイツ以外いないようだし……常連が店を悪くしているパターンだなと思った俺は、その変な男の視線を無視しようとした。……そう思ったのだが、あまりにもじろじろ見てくるので、つい我慢出来ずに、面と向かって言ってしまった。 「……俺の顔に、何かついてますか?」 不機嫌なのを隠しもせずに発した声だったから、当然愛想なんて欠片も残らない、低い声だった。 それなのに、男の反応は妙だった。腹を立てるなりすれば、まだ分かりやすい。なのに、男は反応されると思っていなかったのか、不思議そうに俺を凝視した。 その後……感情がまったく読み取れない、微かな笑みを滲ませた顔で言ったのだ。 「君、どうしてこの店に入ったんだい?」 「……は?」 「若い男が一人で来るのは、珍しいから」 自分だって若いだろうにと思いつつ、俺はたまたま目に入ったからと正直に告げた。 「たまたま……そうか、たまたま偶然、君の目に入ったのか」 「なんですか、一体」 「――鈴の音は、聞こえたかい?」 言われて、高く澄んだ音が鳴った事を思い出す。 「あぁ、あの音……鈴だったんですか。綺麗な音でしたね」 「…………」 褒めたはずだったのに、馴れ馴れしく話しかけてきた男は、喉に小骨でも引っかけたような顔で黙ってしまった。 「……あの?」 「いや……、君は……」 「何ですか?」 「…………いや、失礼。てっきり僕は、アルバイト募集の事を聞きつけて、店に来た人だと思ったんだ。なにせ、男の一人客は珍しいから」 ここは、妙齢のご婦人方が多いのだと男は言った。 やけに格好付けた言い回しなんて、下手をすれば滑稽でしかないのに、違和感を抱かせない。 変な奴だと思いつつ、俺は男が口にした「アルバイト募集」という言葉に食いついた。 「……それ、細かい要項あるんですか?」 「いいや。……店主、あの張り紙は、もう掲示したのか?」 「いいえ、まだですよ。……この通り、静かな店ですからね、もちろん経験者は歓迎しますが、未経験でも問題はありません」 「だ、そうだが?」 自分でも、なんでこんな事を思ったのかは分からない。 ただ、俺はこの時、どうしてもこの店だという、訳の分からない衝動とこだわりに突き動かされた。 それまでは、カフェなんて興味なかったはずなのに、気付けば口が勝手に動いていた。 「それ……是非とも、俺をお願いします……!」 初老の男はにこやかに、それじゃあ後で履歴書を持ってきてくれと言った。 不躾だった男は、物好きだなと俺を見て笑った。 いきなり店内で、雇ってくれなんて言い出す男、不採用確定だろうと思っていたが、一日もしないうちに返事が来て、俺はその店――《茶房・春夏冬》のアルバイト店員になった。 俺が入るまでは、店長一人で店を回していたのだと知ったのは、初出勤の日。 そして、あの失礼男が、常連は常連でも、かなりモンスターな部類に入る常連だと知るのも、初出勤してからの話だ。 温和な店長と、毎度顔を出す嫌味な美形。 それが、《茶房・春夏冬》の普通だった。 奇妙なお客さんが訪れる、あの日までは。 ◆◆◆ 「おや、掃除かい? それなら、《水》に注意したまえよ、狐」 木製の看板に、味のある文字で《茶房 春夏冬》と描かれた店先。 箒を手に、中腰になっていた俺は、ふってきたスカした声に顔を上げた。 「…………おはようございます、安倍さん」 「おはよう、狐。今日も、貧乏くさい、しかめっ面だね」 明るい色の髪をかき上げ、余裕たっぷりに笑う男の名前は、安倍あべ 保明やすあき。 外国の血が混じっているのか、背が高くて足が長い上、彫りの深い整った顔をしているこの男は、店の常連客だ。 そして、雇われ者のアルバイト店員である俺に対し、事あるごとに嫌味を言ってくる、面倒くさい相手でもある。 「……俺の名前は狐じゃなくて、稲成です。稲成いねなり小太郎こたろう。……お願いですから、狐と呼ぶのはやめて下さい」 毎回言っているだろうが、と心の中で付け足す。 客商売だから言葉を選んでいるというのに、当の失礼極まりない男は、少しも悪びれた様子無く言った。 「狐を狐と呼んで、何が悪い? 君は立派な狐顔じゃないか」 「……は?」 立派な狐顔とは、どんな顔だ? 一瞬、そんな事を思ったが、何か反応すれば安倍の思うツボだ。 俺は、早々に試合放棄する事を決めた。 「えーと……こんな所で、何をしているんですか? まだ、開店時間じゃないんですけど?」 努めて感情を押し殺し、精一杯丁寧な言葉で、コイツの非常識な行動をたしなめる。 「ああ、知っているよ」 俺が話を流したことなど気にも留めず、そして必死の訴えもスルーし、安倍は爽やかに笑った。そして、勝手知ったる我が家のように、店の引き戸に手をかける。 「ちょ、ちょっと! だから、まだ開店前だって……!」 「かまわない、かまわない」 慌てて制止しようとした俺に、安倍は軽やかに手を振ってみせたかと思うと、ためらいなく店の中へ続く戸を開けてしまった。 「アンタは構わなくても、こっちは構うんですよ!」 ちりんちりん。 引き戸の開閉を知らせる、澄んだ鈴の音が鳴る中、俺は迷惑な常連客に向かって叫んだ。 その拍子に箒を取り落とし、慌てて拾い上げる。 はやく後を追わなければと焦る俺の前を、車が通過した。 ばしゃ。 「…………」 昨日の夜に降った雨により出来た水たまり。 そこを、車が少しも減速せず通ったせいで、俺は思いきり水を被るはめになった。 「……この野郎っ、徐行運転しろよな、チクショウ……!」 通りすがりに水をかけようと、全く気にした様子も無く遠ざかる車に向かって、俺は悪態をつく。もちろん、客である安倍に強く言えない分の、八つ当たりも含まれている。 ぶるぶると頭を振って水を払ったところで、ふとあの迷惑な常連客が、顔を合わせるやいなや放った言葉を思い出してしまった。 ――水に注意したまえよ。 安倍は、間違いなく俺に向かってそう言った。 そして、今……俺は車が跳ね上げた水を被って、濡れ鼠だ。 「――……はは、まさか……」 予知かと思うような言動だが――普通・・は有り得ないと、俺は自分の考えを否定した。 (……馬鹿馬鹿しい、ただの偶然だろ……) 安倍保明は、迷惑な常連客だ。 けれど、時々妙なことを……それこそ、予言めいた事を口にする。 そう、何もこれが初めてではなかった。 あれは……働き初めて一週間たった日の事だ。 俺は、急な買い出しに行った。 その時、窓から見える快晴の空を指さし、「傘を持っていけ」と言い出したのはあの男だった。 晴れていたし、十分もかからず帰ってこられる距離だったから、俺は気にせず飛び出したのだが……帰り道は、バケツをひっくり返したような土砂降りになった。 ずぶ濡れで戻ってきた俺が見たのは、「だから言ったのに」とでも言いたげな勝ち誇った笑みを浮かべた、安倍で……。 (思えば、あの時からだな……) 安倍が、やたらと俺に絡んでくるようになったのは。 それまでは、若干嫌味で言動が鼻につくものの……まるで様子をうかがうように、一歩引いて俺を見ていたのだから。 一体、何が原因で奴の関心を引いたのかは不明だが……迷惑な話だ。 ――ここ、春夏冬で働くようになって三週間……。 通り雨に降られたあの日から、俺は安倍保明という非常識な常連客に振り回されていた。
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