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しかし、放置して良いわけでもない。
橋の下に打ち上げられた小舟、彼奴の住まい。確か役所職員からの頂き物の手拭いがあったはずだ。びにーる詰めされたそれをひとつ咥え、彼奴の足元に放りやる。彼奴は包みをつうと割き、ごみをぽっけに仕舞った。乙女の額に川水を吸った布があてられる。きっ、とひと睨みしてやると、はたはたとうちわを扇ぎだす。
「人遣いが荒い黒猫さんだよねえ、君は」
「『黒猫さん』という名前なのですか?」
「ん、おはよう。珊瑚ちゃん。よく眠れたかい?」
「ええ、おはようございます。少々寝不足だったもので」
起き上がろうとして額の手拭いに、それからうちわに気づき、乙女は慌てて貴公子に礼を述べた。よく染まる頬だ。ときに、こやつの名は珊瑚だったか。存外に良い名ではないか。
「お礼なら黒猫さんに言ってあげて。手拭いもうちわも黒猫さんの指示だから」
「それはそれは感謝の極みです……って、え、喋れるんですか?」
「さあ、どうなんだろうねえ」
吾輩はついと顔ごと耳を背けた。
「でも、こうして反応するし」
耳の先がぴくりと動く。吾輩としたことが稚拙な過ちを犯してしまった。顔を見ずとも彼のにやつきを首の裏に感じる。
「人語は解せるかもということですか」
「そうなるんだろうねえ」
「素敵です最高です素敵ではないですか。ますます美少女のお供的です。おじさまおじさま、わたしは……わたしは、こちらの黒猫さんにまた逢いに来ても構いませんか?」
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