閉店日

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 閉店時間ももう直ぐだし、今から新しい客も来ないだろう。最後になるであろう客のデザートと紅茶をウェートレスの京子さんに渡すと俺はキッチンの隅にある椅子に腰掛けてキッチンの様子を見た。何回か改装されているとはいえ、建物自体は古い。売るとなると土地だけで、建物は取り壊すことになるだろう。 「あのー」 「終ったか?」 「いえ、お客様がシェフを呼んで来いと」 「何か問題あったか?」 「いえ、そういうわけではないんですけど」 「分かった。とにかく行こう」  京子さんに先導されて客席に向うと、大きな声で何か言うのが聞こえる。見ると禿げ上がり、立派な髭を蓄えた白人の男性が何か言っている。  同席していた白人女性が言った。 「シェフは日本の方なんですね。てっきりロシア人シェフかと思いました」 「ええ」  女性客は男性客と何か話した。どうも男性客の方は日本語が話せないようだ。 「ここの料理は素晴らしいと言ってます。ロシア本国に残ってない昔の味がそのまま残ってると」 「この店は祖父が始めたんですが、ハルビンでロシアの方に教わったと聞いてます」 「そうですか。この店の名前は?」 「祖父に教えてくれた方はその……昔の貴族の家でコックをしていたそうで、その家の姓からつけました」  女性客が男性客に何かを話すと男性客は突然立ち上がって俺の手を取った。  「彼はその家のゆかりの者です。百年間レシピを守ってくれてどうもありがとうと言ってます」  感激して手を上下に振る男性客の様子に今日で閉店だと言うことはできなかった。     
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