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私にはもう、いないがな。青年は自嘲気味に、口の中でそうつぶやいた。
そうして青年は踵を返し、御堂に戻る。
「あの、たつはまた、あしたの晩にもまいります。えと……、にい、さまは……」
立ち去る青年の背に、少女のよく聞き取れないほどの小さな声が届いた。
「……うむ、たつ、と申すか。私も、また逢いたいものだ。そなたの、愛らしい姿は、心が安らぐ」
青年は熱のせいでぼんやりとする頭で答えた。背後で息をのんだような気配がしたが、既に自分が何を言っているのかさえあやふやな青年は、ふらつきながら御堂へと入っていった。
「たつ、が……愛らしい。……ふふっ、んんーっ!」
青年の消えた境内。自らを龍と名乗る少女は、真っ赤な頬に手を当てながら、しばらくの間、そんなことを繰り返し口に出しては、ふるふると体を震わせていた。
彼女を見ていたのは、雲間から顔を出す月だけ――。
「ゆうべのあのおなご……たつと言ったか。一体、何者だったのだろうか……」
一夜明け、昼過ぎに目を覚ました青年は、縁側に座り一人ごちる。まるで幻想のような出来事に、本当は夢を見ていたのかさえ思われた。
「……しかし」
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