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基本編 左フック(6)
二ラウンド目開始早々、友永が機先を制してラッシュをかけた。ジャブを突く暇を与えられなかった井端は、ガードを固めてリング内を左に回って距離を取ろうとする。しかし友永の強烈な右フックを貰って脚を止めてしまう。友永は勢いをそのままに更に接近し、井端のボディにフックを集中する。たまらず井端がクリンチし、越中がブレイクをかける。
「井端、入られるなって」
「オ、オッス」
越中の注意に肩をすくめた井端が、構えを整えて再び友永と対峙した。友永はまた鋭く踏み込むと見せかけて井端の左ジャブを誘い、ヘッドスリップでかわして左ボディブローを打ち込んだ。
「くっ」
肝臓に入ったらしく、井端があからさまに効いた表情をした。それでも右ストレートを出して友永を少し後退させる事に成功した。
一旦両者の攻撃が止まり、睨み合いになった。友永は左拳を細かく動かして牽制し、井端はじっと友永の出方を窺う。時折お互いに左ジャブを出すものの、本格的なパンチの交錯には至らない。
「ラスト一分!」
三枝が大声で告げた。その直後に井端が二発ジャブを出してから大きく踏み込んでワンツーを出した。友永は頭を振ってパンチを避け、右オーバーハンドで迎え撃った。だが井端は左肩で受けると、友永の腹に右ボディアッパーを突き上げた。
「んっ」
友永の口から思わず呻き声が漏れる。すぐに離れた井端が友永の顔面に左ジャブをまとめる。友永はガードが間に合わずに貰ってしまう。リズムに乗った井端が、軽く息を吸ってから渾身の右ストレートを放った、と思ったその時、井端の顔が急に左を向いた。同時に口からマウスピースが飛ぶ。
コンパクトに腕を振って放った友永の左フックが、井端の顎を綺麗に捉えたのだ。
足をふらつかせてロープにもたれかかる井端に尚も襲いかかろうとする友永を、三枝が止めた。
「ストップ! ダウンだ祐次!」
右拳を伸ばす直前で踏み留まった友永が、踵を返してニュートラルコーナーに下がった。その間に越中が飛んだマウスピースを拾い、タオルで拭ってからエプロンに上がって井端に咥えさせた。
「できるか?」
「オッス」
越中の問いに頷いた井端が、頭を振ってから再びリング中央に歩を進めた。友永もニュートラルコーナーを離れて井端に向かって前進した。
それからは細かいパンチの応酬に終始して二ラウンド目が終わった。ふたりはリング中央でグローブを合わせて頭を下げ、対角線に分かれてリングを降りた。
「よぉし、お疲れ」
三枝が労うと、友永は無言で頷き、マウスピースを吐き出した。
「あー全然ダメ」
吐き捨てた友永が、呆けた様な顔で見ている利伸に言った。
「左フック、ちったぁ参考になったか?」
「え? あ、はい」
突然話を振られて戸惑いつつ利伸が頷くと、三枝も話しかけた。
「フックは倒せるパンチだけど、振りが大きくなりがちなんだ。さっきの祐次のフックは井端の見えない角度から打ってるから効いたんだよ」
「あ、なるほど」
利伸は感心した様に二、三度頷いた。三枝は微笑しつつ友永のヘッドギアを外し、次にグローブを外しにかかった。両手を三枝に差し出しながら、友永が利伸に向かって言った。
「フックに限らず、どんなパンチでもやたら打ったって相手は倒れねぇ。要はタイミングってこった」
「あ、はい。ありがとうございました」
利伸は三枝と友永に向かって深く頭を下げると、足元に置いていたバッグを肩に掛けてその場を離れた。
「さて、どうなるかな」
呟いた友永に、三枝が訊いた。
「何がだ?」
友永はグローブから右手を抜き、軽く振りながら答えた。
「利伸。あのままサントスにかぶれるか、それとも違う方向に行くか」
「あぁ、まぁまだあいつは始めたばっかりだから、そこまで気にしなくてもいいだろ」
友永の左手に嵌まったグローブを抜きながら三枝が応えると、友永は眉を上げて返した。
「……そうっスね」
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