基本編 右フック(4)

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基本編 右フック(4)

 ラウンド開始のベルと同時に、友永が勢い良く前に出て右オーバーハンドを振った。 「うわおっ」  出会い頭の一撃に面食らいつつ、井端は何とかかわして左ジャブを返す。額で受けた友永が左ロングフックを放つと、井端はブロックしてもう一度左ジャブを打つ。  今日は先日よりも両者の手数が多く、よりスリリングな攻防が続いた。戦況を見守る三枝がチラリと利伸を見ると、案の定口をだらしなく開けてリング上を見つめていた。  二分過ぎ、井端がパンチの回転を上げて友永を攻め立てた。やはり平田選手を意識している様だ。少し戸惑った友永がガードを固めてロープ際に下がる。井端は追撃の手を緩めずにパンチを連打する。だが三枝は、冷静に友永の様子を窺っていた。  残り三十秒を切った頃に、友永が動いた。  井端の右ストレートをダッキングでかわすと、素早く左拳を突き上げて顎を上げさせ、ロープ際から抜け出すと同時に強烈な右ボディフックを叩き込んだ。 「ぶっ」  井端の口から、マウスピースがはみ出た。その隙に距離を取った友永が態勢を立て直す。ダメージの濃い井端は無理矢理マウスピースを口に押し戻して向き直り、左ジャブを突きながら前進した。  結局、その後は小競り合いでラウンドは終了、ふたりはそれぞれのコーナーに戻った。三枝は素早くエプロンに上がって友永に水のボトルを差し出した。 「悪くない。だがロープに詰まるのはあんまり良くないな」  友永は水をもらってから答える。 「あぁ、イバがえらく積極的でちょっと泡食った」 「平田だともっと来るかもな」 「臨む所だ」  強がりとも取れる言葉を返した友永が前腕で顔の汗を拭い、再びリング中央を向いた。  それから三ラウンズに渡ってスパーリングが続いた。途中で何人かの練習生は帰宅したが、利伸は最後まで残って見ていたので、三枝は終わった所で話しかけた。 「どうだ利伸?」 「あ、はい。今日は井端さんがいつもより動いてましたね。それと」 「それと?」 「友永さんは、常に何か狙ってる様に見えました」  利伸の分析に、三枝は心の中で舌を巻いた。  確かに、今日の友永はガードを固めて下がったり、距離を取って回ったりと井端に負けず普段にない動きを多発していた。その全てが、今度対戦する平田選手への対策の一環である。  四ラウンズのスパーリングを見て友永の意図をある程度読み取った利伸の目に、三枝は改めて感心した。  そこへ、リングを降りた友永が寄って来た。 「利伸、よく最後まで観てたな。帰んなくていいのか?」 「あ、はい。もう帰ります」  会釈した利伸は、足元に置いたスポーツバッグを肩に提げて踵を返した。見送った三枝が、友永に言った。 「あいつ、よく見てるよ」 「え?」 「お前がスパーの間ずっと色々狙ってたの、判ってたぞ。まぁ具体的じゃなかったがな」 「へぇ、違う意味でも良い目してんだな」  友永も感心して、利伸の後ろ姿を見送りながら三枝にグローブを着けた両手を差し出した。応じた三枝がグローブを外しにかかると、友永がポツリと言った。 「右フック、参考になりゃいいけどな」
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