番外編 初めてのリングサイド(1)

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番外編 初めてのリングサイド(1)

『大森ボクシングジム』は年末年始の休業期間に入ったが、年明けに試合を控えた友永は井端を含む数人のプロ選手と共にジム合宿を張った。三枝は流石に大晦日と元日は不参加だったが、それ以外は全て顔を出し、みっちりと指導した。  最終日の一月三日、三枝は妻の協力を取り付けて友永達を自宅に招き、ささやかな打ち上げを行った。酒こそ控えたが、妻が減量中の友永の事を考えた手料理を用意し、宴は夜中にまで及んだ。その最中、三枝が友永に話しかけた。 「そう言えば祐次、利伸は試合観に来るのか?」 「ああ、日程伝えたら開けとくって言ってた」  焼いた鶏のササミを頬張りながら、友永が答えた。三枝は頷き、コーヒーを口に運んだ。  松の内も過ぎてお屠蘇気分も抜けた頃、『大森ボクシングジム』の面々はボクシングの聖地、後楽園ホールに入った。約一年ぶりの復帰戦に臨む友永は、青コーナー側選手控室で準備を始めた。セコンドには大森と三枝、それに仕事を休んだ井端が付く。  三枝はトイレに行くついでに、観客席を覗いてみた。リングサイドの柵伝いに見回すと、丁度向こう正面の前から二列目に利伸の姿があった。身長の所為か、左右の観客から少し頭が突き出ている。正に『ヒョロ』だ。場内を見回す利伸の落ち着きの無い様子に苦笑しつつ、三枝は控室に戻った。 「ションベン長いよノボさん」  ややナーバスな様子の友永に言われ、三枝は笑顔のまま返した。 「いや、客席見に行ったら利伸見つけてな、何かあいつお上りさんみたいだったよ」  その言葉を聞いて、友永の強張った顔が少し緩んだ。横に居た大森が口を挟む。 「おぉ、ヒョロ来てるのか」 「ええ、あの様子じゃあいつ、生で試合観るの初めてじゃないですかね」 「ほぉ、じゃあ初観戦のヒョロの為にもスッキリ勝たないとな、ユージ」 「オッス」  友永は頷くと、再び表情を引き締めた。 「友永祐次選手、準備お願いします」  スタッフの呼びかけに応じて、トランクスの上に漆黒のガウンを着た友永が立ち上がり、八オンスのグローブに包まれた両拳を打ち合わせた。 「よぉし、行こうか」  大森が声をかけ、友永が「オッス」と小さく返事をした。その全身から、覇気とも殺気とも取れる波動が感じられる。三枝の目には、やや気負い過ぎている様にも見えた。 「祐次、力入れ過ぎるなよ、ちょっと息吐け」  三枝の指示に従い、友永は口から大きく息を吐いた。後ろに居た井端が、その迫力に少し引く。  通路に出ると、大森を先頭にしてその後ろに友永、井端、三枝の順に並んだ。その直後、前の試合を終えた選手がセコンドに肩を借りて戻って来た。鼻からは出血が見られ、顔は赤く腫れていた。三枝はすれ違いざまに一瞥してから、前に立つ友永の様子を窺った。大森の肩に両手を乗せた友永は頭を俯かせているらしく、他人を気にしている素振りは見せていない。  怪我からの復帰、一年というブランク、友永にとっては不安材料でしかないだろう。三枝も充分承知しているつもりだが、試合は始まってみなければ何も判らない。 『青コーナーより、友永祐次選手の入場です!』  リングアナウンサーの声が響いたと同時に、友永が両肩を揺すって吼えた。 「オッシャア!」  声を合図に、三枝達は花道へ進んだ。  
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