番外編 初めてのリングサイド(4)

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番外編 初めてのリングサイド(4)

 セコンドアウトの指示を聞きながら、三枝は友永の口にマウスピースを入れつつ言った。 「祐次、何考えてるか知らんが、焦るなよ!」  答える代わりに微笑を残して、友永は椅子から立ち上がった。 「ファイト!」  レフェリーの声の直後に、第二ラウンド開始のゴングが鳴った。三枝はエプロンサイドに両肘を乗せて、不安げに友永の背中を見つめた。  もう決める、と友永は言った。  恐らく、試合を終わらせるという意味なのだろうが、一体何を企んでいるのか?  少なくとも三枝の目には、平田は減量も上手く行って体調も良好、自信満々でこの試合に臨んでいる様に見える。決して友永が減量に失敗したり、体調を崩している訳ではないのだが、平田よりも試合間隔が空いているだけに、友永の試合勘がどの程度戻っているかが未知数なので、三枝は不安を拭い切れないのだ。  そんな三枝の心境をよそに、友永は平田のジャブを頭を振ってかわし、大きく踏み込んでワンツーを放つ。だが平田は無理せず大幅にバックステップして、パンチを当てさせない。それでも友永は愚直なまでに前進を繰り返す。  ロープ際を回りながらジャブを打つ平田を、友永はブロッキングを多用しつつ追う。次第に、平田のジャブにリズムが出て来た。 「まずいな……」  思わずこぼした三枝に傍らの井端が訊く。 「何がッスか?」 「平田は祐次のガードの上からでもジャブが当たるんで、気を良くしてリズムに乗って来てる。逆に祐次のパンチは当たってないから、そういう意味ではリズムには乗れてない」 「あ~、なるほど」  井端が間抜けな相槌を打った所で、平田がジャブの後に右ストレートを出した。その刹那、友永の上半身が大きく左に傾いだ。  大きめの風船を割った様な音が、ホール全体に響き渡った。 「ダーウン!」  三枝も、大森も井端も、相手セコンド陣も、揃って瞠目した。  右ストレートを放った平田が朽ち木倒しに倒れ、友永が肩越しにダウンした平田を見据えつつニュートラルコーナーへ進んだ。  強烈なカウンターだった。  ガードを高く保った友永が、リズムに乗って打ち出された右ストレートを見逃さず、瞬時に左にヘッドスリップしてかわしながら、己の右拳を平田の顔面に叩きつけたのだ。 「あいつ、これを狙ってたのか」  三枝が、ニュートラルコーナーに背中をもたせかけた友永を見つめて独りごちた。  先のインターバルでの『もう決める』という宣言は、平田のパンチの威力や軌道、癖を見抜いた上で言ったのだろう。試合勘はともかく、訪れたチャンスを確実に決める友永の勝負勘は、冴え渡っていたという事だ。  ダウンカウントが進む間、友永が首を回して何処かを見たので三枝も同じ方向を見ると、利伸がだらしなく口を開けて、呆然とリング上を見つめていた。  カウントエイトで何とか立ち上がった平田だが、目は虚ろで足元も覚束ず、ダメージの深さは明らかだった。  それでも必死にファイティングポーズを取ろうとする平田の眼前で、レフェリーが両腕を頭の上で振り、平田のふらつく身体を抱き締める様に抱えた。ゴングが連打され、観声は最高潮に達した。  テクニカルノックアウト。  友永祐次が、見事に一年ぶりの復帰を果たした瞬間だった。
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