基本編 左アッパー(3)

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基本編 左アッパー(3)

 翌日、夕方にジムに来た利伸に向かって、三枝はパンチングボールの辺りから指示を飛ばした。 「利伸、今日は左アッパーのシャドーを重点的にやるから」 「あ、はい」  いつもの返事を残して、利伸が更衣室へ行って暫くすると、息を切らせながら井端が入って来た。 「チワッス!」 「おい、井端? お前仕事は?」  三枝の問いに、井端は額の汗を拭いながら笑顔で答えた。 「あ、あの、今朝店長に試合決まったって話したら、これから試合終わるまで定時上がりでいいって言ってくれて。しかも今日は半分で上がらせてもらえたんスよ!」 「ほぉ〜、そりゃ理解ある店長で良かったな」 「あざっす」  井端は笑顔のまま数度頭を下げて更衣室へ行き、そこで利伸と出くわして素っ頓狂な声を上げた。 「おー利伸! こうやって見るとお前が高校生だって実感するな!」 「あ、はい」  利伸の返事から若干の戸惑いを感じて、三枝は苦笑した。  三枝が他の練習生のサンドバッグ打ちを指導している間に、利伸と井端が連れ立って更衣室から出て来て、床に座り込んでバンテージを巻き始めた。何の話をしているのかは聞き取れないが、井端が時折身振り手振りを交えて喋るので、なかなかバンテージが巻き終わらない。その内に利伸が先にバンテージを巻き終えて、ウォーミングアップを始めた。 「井端! 試合決まったからって浮かれてんなよ! 早くバンテージ巻いてアップ始めろよ!」 「オッス、すみません!」  三枝の注意に、井端が慌ててバンテージを巻き直した。事務室に居た大森も顔を出して言う。 「何だよバター、そんなんじゃ勝てんぞ!」 「お、オッス」  肩をすくめる井端を横目に、利伸はウォーミングアップを終えてロープを手にした。三枝は利伸の縄跳びの邪魔にならない様に距離を取りながら井端に歩み寄った。 「井端、今日は先に利伸の左アッパーを見てからお前の練習に入るからな」 「え、利伸もう左アッパーやってんスか?」  井端の質問に頷き、三枝は続けた。 「ああ、昨日からな。それと、祐次がスパーの相手してくれるらしいから」 「マジッスか? そりゃありがたいスけど、何か逆にボコボコにされそうだな」 「それは心配すんな。昨日あいつに釘刺しといたから」 「オッス」  半信半疑で頷いた井端が漸くバンテージを巻き終えて、ウォーミングアップを始めた。  二ラウンズの縄跳びを終えた利伸が、鏡に正対してファイティングポーズを取った。ラウンド開始のベルと同時に、軽く上半身でリズムを取ってから左アッパーを強振した。だが三枝の目には、やや力みがある様に見えた。 「利伸、肩が詰まってるぞ。もうちょっと力抜いて打て」 「あ、はい」  指示に頷き、利伸が再び左アッパーを打つ。今度は肩は上がっていないが、身体の捻りが少なくて窮屈な印象を受けた。 「キチンと左肩を引いて打て。最初にちゃんと覚えないと変な癖がついて治らなくなるぞ」 「あ、はい」  利伸は動作を確かめる様に、先ほどまでより遅い動きで丁寧に左アッパーを打ち始めた。次第にフォームが良くなって来る。やはり飲み込みは早い、と三枝は思った。  ラウンド終了のベルと共にファイティングポーズを解いた利伸に、縄跳びを終えた井端が声をかけた。 「利伸、左アッパー打つ時にさ、右のガード気をつけろよ」 「ああ、そうだな。身体を捻った時に右手が下がるケースが結構あるんだよ。今度はそこ意識してやってみよう」  三枝も同調してアドバイスする。利伸は「あ、はい」と返事して鏡に向き直った。
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