絶対王者ができるまで

番外編 二度目のリングサイド（３）

　井端とジェンキンスが、リング中央で軽く互いの左拳を合わせた。その直後、ジェンキンスがいきなり右ストレートを強振した。
「うおっ」
　機先を制された井端が慌ててスウェーでかわそうとするが、長いリーチを読み切れずに被弾してしまう。クリーンヒットではないものの、拳圧の強さでバランスを崩して後ろによろめいてしまう。
「回れ！」
　咄嗟に三枝が声を出すが、井端が体勢を立て直そうとする間にジェンキンスが接近し、左右の拳を振り回した。途端に女性ファンの歓声が上がる。
　井端はロープに詰められながら必死にガードを固めて凌ごうとするが、余りのハンドスピードの速さに隙を見い出せずにいた。
「まずいな」
　三枝が独りごちた直後に、越中が指示を飛ばした。
「くっつけ！」
　声が届いたのか、井端が潜り込む様にしてジェンキンスに組み付き、脇の下に頭を通して動きを封じた。
「ブレイク！」
　レフェリーがふたりを分けると、井端は大きく息を吐いて向き直った。
「油断するな！」
　三枝の言葉に軽く頷くと、井端は右拳を顔の近くに上げて、左拳を腰の辺りに下げて構えた。デトロイト・スタイルと呼ばれる、アウトボクサーがよく使う構えだ。
「ファイト！」
　レフェリーのかけ声と同時に、再びジェンキンスが前に出てワンツーを打った。明らかに、早めのラウンドで決着をつけに来ている。だが井端はバックステップでかわすと、相手の打ち終わりに左ジャブを素早くニ発浴びせた。軽く顔面にヒットし、ジェンキンスの頭が少し仰け反る。
「いいぞバター」
「それでいいぞ！」
　大森と越中が続けて言い、三枝が更に指示する。
「足を使え！　正面に立つなよ」
　井端は尚もジャブを打ち、右にステップした。しかしジェンキンスは、井端の左ジャブを左手ではたき落とすと、すぐに右ロングフックを被せて来た。左手を下げられた状態でパンチ受けた井端が、またバランスを崩す。そこへジェンキンスが左フックで追撃し、井端の顔面を浅く捉えた。勢いに抗えずに尻餅を着いた井端に、レフェリーがダウンを宣告した。
「えっ？」
　思わず声を出す井端に、三枝がマットを叩きながら言った。
「落ち着け！　時間使ってゆっくり立て！」
　井端は軽く頭を振ってから、ダウンカウントを数えるレフェリーを見上げながら立ち上がった。
「慌てるなよ！　まだ始まったばっかりだからな！」
　越中が喚くものの、井端に届いているかは判らなかった。三枝が対角線上のニュートラルコーナーに目を転じると、ジェンキンスが早くも勝ち誇った様な表情で井端を見ていた。
　レフェリーがカウントを八で止め、井端に続行の意思を確認する。井端はやや締まらない表情で頷いて、ファイティングポーズを取り直した。
　レフェリーの合図で再開すると、ジェンキンスは嵩にかかって攻めて来た。左右の拳を速射砲の様に振り回して井端を追い詰めようとする。井端は連打を必死にかいくぐり、左ジャブを顔面とボディに散らす。
　そこからは、逃げる井端と追うジェンキンスという図式が続き、ジェンキンスが右オーバーハンドを豪快に空振りした所で第一ラウンド終了のゴングが鳴った。三枝達が一斉にリングへ上がり、椅子を出して井端を座らせた。
「クソッ、ダウン取られた」
　マウスピースを吐き出すなり言う井端に、三枝が諭す様に告げた。
「まだ一ラウンドだ、挽回できるぞ」
「そうだバター、まだまだこれからだ」
　大森も同調する。その傍らで水を差し出しつつ、越中がアドバイスする。
「出入りを速く。あいつはパンチが当たるほど調子に乗ってラッシュして来るから、何発か当てたら思い切って離れろ。その内あいつは苛つく」
「ウッス」
　口に含んだ水を吐き出した井端が、気合いの入った顔で頷いた。直後に、観客席を横目で観た。三枝が視線を追うと、観たのは友永と利伸が居る方向だった。
「井端、気持ちは判るがあんまり祐次や利伸を意識し過ぎるなよ。お前はお前のボクシングをやるんだ、いいな」
　井端はそれには答えず、越中の差し出したマウスピースを口に入れて強く噛み締めて呟いた。
「ぜってぇ勝つ」