基本編 パーリング(1)

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基本編 パーリング(1)

井端の試合から二週間程が経過し、休養を終えた井端もジムに戻って練習を再開していた。三枝は大森と、友永の次戦について話し合っていた。 「そろそろ城島とやらせてもらえないもんですかね?」 城島とは、先日の井端の試合が入った興行にも出場していた、日本ウェルター級一位の城島賢吾だ。大森は煙草をくゆらせながら難しい顔で返す。 「ウ~ン、俺もやらしてやりたいんだけどなぁ、先方はタイトルマッチがしたくてしょうがねぇみたいでな、どうも上手く行かん」 「はぁ、そりゃ一位ですからねぇ」 ふたりして腕組みしていると、出入口から挨拶が聞こえた。 「チワース」 その声を聞いて、ふたりは顔を見合わせた。数秒後、事務室の前に現れたのは利伸だった。三枝は組んでいた腕を解くと、微笑して言った。 「おぉ利伸、久しぶりだな。テスト終わったのか?」 「あ、はい。昨日終わりました」 軽く頷いて返す利伸に、大森が煙草をもみ消しつつ訊いた。 「どうだ、よくできたかヒョロ?」 「あ、はい。多分大丈夫だと思います」 「何だよ頼りねぇな、もっと自信持てよ」 利伸は困り顔で二、三度頷きながら更衣室へ行った。見送った三枝が、デスクの上の湯呑みを取り上げて言った。 「会長、もうそろそろディフェンス教えようと思うんですがね」 「ん? ヒョロにか?」 大森の質問に、三枝は湯呑みの中の茶を全て喉に流し込んでから答えた。 「ええ。あいつはプロ志望ですから、十八になったらプロテストを受けたいって言ってくるかも知れないでしょう? テストはほぼ実技で決まりますから、スパーリングさせる為にもディフェンスができないと」 「あ~そうか、えっとヒョロは何月生まれだっけか?」 そう言うと、大森は椅子をずらしてデスクの引き出しを開け、利伸の入会申込書を参照した。生年月日の欄には十月十二日と記載されていた。 「あと半年くらいか」 大森の言葉に頷き、三枝は椅子から立ち上がった。 「まぁ、すぐ受けるとは限りませんが、いつまでもパンチ一辺倒じゃマススパーもロクにできませんからね」 「そうだな。んじゃあ頼むよ」 「はい」 請け合って事務室を出た三枝は、丁度入って来た別の練習生の挨拶を受けながら身体をほぐし始めた。 三枝がアマチュア選手のサンドバッグ打ちを指導していると、ジムに井端が入って来た。 「チワッス~」 「おぉ井端、来たか」 三枝はサンドバッグから離れ、縄跳びをする利伸達の後ろを通って井端に声をかけた。 「すまんが、ちょっと頼みがある」 「え、何スか?」 戸惑い気味の井端に顔を近づけて、三枝は言った。 「今日から利伸にディフェンスを教えるつもりでな、お前ちょっと手貸してくれないか?」 「ディフェンスッスか? ああ、いいスよ」 微笑して快諾する井端の肩を軽く叩いて「頼む」と告げて、三枝はサンドバッグに戻った。その後ろから、今度は友永の挨拶が響いた。 「オィ~ッス」 「おぉ祐次、今日は早いな」 三枝が肩越しに振り返って言うと、友永は笑顔で「まぁね」と返した。その後に声をかけて来た井端と何やら話し込みながら、友永は更衣室へ向かった。その姿を見送った三枝の耳に、ラウンド終了のベルが飛び込んだ。小走りにサンドバッグに戻った三枝は、動きを止めた選手に新たな指示を出した。 井端と友永がウォームアップを始めた所為か、にわかに緊張感が高まったジム内で、三枝は鏡に向かってシャドーボクシングをする利伸に歩み寄ってじっくりと観察した。 左右のストレートには伸びがあり、フックはコンパクトに振られている。アッパーはそれほど得意ではないのか、他のパンチより若干キレが劣る印象だが、及第点には達している。 「まぁ、大丈夫か」 独りごちた三枝は、ラウンド終了と同時に利伸に告げた。 「おい利伸、今日からディフェンスやるぞ」 振り返った利伸は一瞬目を見開いたものの、すぐに「あ、はい」と返事した。
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