4人が本棚に入れています
本棚に追加
番外編 走り込み合宿(2)
三十度程の斜面に添って、石造りの階段が上へ延びていた。階段の両側は下草と樹木が深いしげみを構成していた。階段の行き着く先に、微かに朱塗りの鳥居が見える。緑の壁の中から、無数の蝉の声が木霊して、真昼の暑さを増幅させる勢いだった。
「利伸、ここがこの合宿の名物、天国への二百段だ」
額に汗を光らせた友永が、微笑と共に告げた。直後に井端が「地獄の間違いでしょ」と突っ込む。
この階段は、この小高い山の頂上に鎮座する「稲見神社」の裏門に通じていて、友永の言う通り二百段ある。この神社の神主の息子が友永と同級生で、その誼で友永は学生時代からこの階段を走り込みに使わせて貰っていて、合宿を始めた当初から全員をここで追い込んでいる。
三枝は自転車を降りて施錠してから、開いた口が塞がらない様子の利伸に声をかけた。
「驚いたか? なかなか厳しそうだろ」
「あ、はい」
生返事をする利伸の肩を軽く叩いて、三枝はズボンのポケットからストップウォッチを取り出しながら友永に指示した。
「よぉし、じゃあ始めるか」
「ウッス」
頷いた友永が、階段の前に立った。その横に三枝が来て、利伸達に説明した。
「いいか、この階段を上まで駆け上がって、すぐに降りて来る、それを五往復。そのタイムを計測するから、ビリは俺をおぶって上まで上る事。一段飛ばしは禁止だ、やったらその場でジャンピングスクワット十回だからな」
「オッス!」
全員が大声で返事をしたのを確認してから、三枝は友永に向き直った。
「行くぞ祐次」
「OK」
友永が軽く身を屈めて、スタートの姿勢を取った。
「用意、スタート!」
三枝の合図と同時に、友永の身体が跳ね上がった。一定のリズムで両足が階段を踏む。そのスピードはウェルター級の選手とは思えない程だった。
「相変わらず速ぇな祐次さんは」
感嘆する井端の横で、利伸も呆然と遠ざかる友永の背中を見つめる。気がつけば頂上を折り返して、下りに入っていた。脚のリズムは全く乱れず、バランスも全く崩れない。
その後もペースが大きく落ちる事も無く五往復を終えた友永に、ストップウォッチを止めた三枝が告げた。
「いいぞ祐次、最高記録タイだ」
結果を聞いた友永が舌打ちして言った。
「クソ、更新できなかったか」
「あぁ〜やり辛ぇなぁ」
友永の脇をすり抜けた井端が、ボヤきながらスタート位置に立つ。その耳元に、友永がニヤけ面で囁く。
「俺はともかく、利伸に負けたらこっ恥ずかしいぞ」
「ちょっと! プレッシャーかけないでくださいよ」
狼狽する井端に、三枝が告げた。
「ホラ、行くぞ!」
「あ、あぁオッス」
気を取り直して階段に向き直った井端が、深く息を吸い込むのを見てから、三枝が合図した。
「用意、スタート!」
友永より軽量の井端は、スタートダッシュ時は友永を凌駕する速さを見せつけて走っていたが、往復を重ねる毎にペースは落ち、五往復を終える頃には青息吐息だった。ストップウォッチを止めた三枝が声を荒らげる。
「何だよ井端! 去年よりタイム落ちてるぞお前! しっかりしろよ!」
「えぇ〜マジッスかぁ? やっべぇなぁ」
膝から崩れ落ちる井端を尻目に、アマチュアの選手がスタート位置に向かった。
アマチュア選手ふたりが走り終えた時点で、最下位は井端だった。項垂れてペットボトルの水を呷る井端に、友永が話しかける。
「オイ、お前ビリだったら何年ぶりだ?」
「え〜? 三年ぶりッスよ、奥野さんがトップだった時以来」
「あ〜オックンね、速かったもんな。俺もビックリしたよ」
今回は試合が近いので参加を見合わせた奥野だが、かつてこの合宿に参加した時には、常に友永とトップ争いを繰り広げていた。
ふたりが話す背後で、いよいよ利伸がスタート位置に着いた。横から三枝が告げる。
「いいか、初参加だからって特別扱いはしないぞ。まぁでもあんまり緊張しないで、自分の走りをすればいい」
「あ、はい」
返事した利伸に、友永が声をかけた。
「腿上げる事意識しな。それと、できるだけ上を見ない様にして上がる。この角度で上見ると躓くからな」
「あ、はい。判りました」
頷いた利伸が脚を前後に開き、やや上半身を屈めたのを認めて、三枝はストップウォッチを構えて号令をかけた。
「用意、スタート!」
利伸の身体が、勢い良く跳ね上がった。
鳥居の向こう側で待つ友永達の注目を浴びながら、利伸に背負われた三枝が階段を上がって来た。鳥居を潜った利伸から降りた三枝が、両手を膝に着いて喘ぐ利伸の肩を軽く叩いて労った。
「お疲れ。いや惜しかったな利伸。あと三秒だったな」
「あ、はい」
汗だくの顔を上げて応える利伸に、罰ゲームを回避した井端が笑顔で言った。
「いやホント、冷や汗もんだったぜ、やっぱバスケやってただけあるな」
「何余裕カマしてんだイバ、来年は抜かれるかも知れんぞ」
後ろから友永が釘を刺すと、三枝も微笑しつつ同調する。
「そうだぞ、利伸はまだ慣れてないからもたついたけど、あれがスムーズに上り下りできる様になったら、今日のお前のタイムなんかあっさり更新だよ」
「そんなぁ〜」
嘆く井端の背中を叩きながら、三枝は先頭に立って神社の本殿へ進んだ。
最初のコメントを投稿しよう!