番外編 三度目のリングサイド(2)

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番外編 三度目のリングサイド(2)

 バンテージチェックも無事にパスした奥井を伴って、三枝は花道の手前まで出た。首を伸ばして客席を見ると、向正面側のリングサイドやや後方に、利伸の姿が見えた。その隣に友永が座っている。 「奥井、祐次も来てるぞ」  三枝が肩越しに振り返って教えると、奥井の顔が綻んだ。 「マジッスかぁ? いや嬉しいなぁ〜来てくれたんだ〜」 「こりゃ増々勝たないとなオックン」  後ろから大森に激励され、奥井は緩んだ頬を引き締めた。 「オッス」  興行開始を告げるゴングが三度鳴らされた後に、リングアナウンサーの声が場内に響いた。 「第一試合を〜行い〜ます、両選手リングにぃ入場です」  この興行では、四回戦の試合では双方の選手が同時に入場する。三枝を先頭、大森を殿にして奥井が花道を進んだ。赤コーナー下に到着すると、三枝が奥井の顔にワセリンを塗り、奥井に水を与える。奥井は口に含んだ水をタラップの手前に設置された松ヤニに吐き出し、シューズを入念にこすりつける。グローブを嵌めた両拳を顔の前で合わせて数秒黙想し、「オシッ」と気合を入れてタラップを駆け上がり、三枝が開けたロープの間をくぐってリングインした。やや遅れて、青コーナー側に対戦相手が現れる。  リングアナウンサーが、中央でマイクを取った。 「第一試合〜、スーパーフライ級四回戦を〜行います。赤ぁコーナぁー、百十四パウンドぉ〜、大森所属ぅ〜、今日がデビュー二戦目、初勝利を狙う〜、奥井ぃ〜、たぁ〜だよしぃ〜!」  コールを受けて、奥井は四方に向かって丁寧に頭を下げた。 「青ぉコーナぁー、百十五パウンドぉ〜、西部所属ぅ〜、こちらもデビュー二戦目で初勝利を目指すぅ〜、阿久津ぅ〜、秀ぅ〜平〜!」  相手はコールを受けて、右拳を挙げて周囲にアピールした。  レフェリーとジャッジを紹介したリングアナウンサーが下がり、替わってリング中央に進んだレフェリーが両選手を手招きした。三枝と共に奥井がリング中央へ歩を進める。レフェリーの注意を聞く間、阿久津は自信満々な表情で奥井を見下ろし、対する奥井は落ち着いた表情で見返した。  互いにグローブを合わせて、両選手とセコンドが再びそれぞれのコーナーへと下がる。三枝は奥井に対面して、顔を覗き込んで言った。 「いいか、出入りを速く、必ずジャブ突いて入れよ。相手の方がタッパはあるが、スピードじゃ負けない筈だ。自信持って行け」 「ウィッス」  口を尖らせて奥井が頷いたと同時に、セコンドアウトの指示が下った。三枝がロープをくぐった直後に、第一ラウンド開始のゴングが鳴った。  奥井と阿久津がほぼ同時にリング中央に出て、左拳を軽く合わせた。一拍置いて、阿久津が左ジャブを伸ばす。奥井は怯まずにステップインして左ジャブを返す。応じた阿久津のワンツーは、奥井が素早いバックステップでかわす。奥井は前後のステップを刻むリズムに変化をつけながら、上下にジャブを打ち分けた。対する阿久津はガードを固めてサークリングし、奥井の打ち終わりにパンチを出す。 「いいぞ! 自分でテンポ作って行け」  三枝は奥井に指示を飛ばしつつ、阿久津を観察した。  肌のツヤも良く、表情も引き締まっているので、減量も上手く行って良い練習を積めているのだろうと、三枝は推測した。何しろ相手はまだ十九歳である。いくら四回戦とは言え、手数が増えて消耗戦になったら先にバテるのは明らかに年上の奥井だ。できれば早めにダウンを奪って、相手を焦らせてスタミナを削りたい。 「オックン! 打ち分け!」  三枝の横から大森が指示した。軽く頷いた奥井が、肩のフェイントからいきなり右ボディストレートを阿久津の腹に叩きつけた。一瞬、阿久津の眉間に皺が寄ったのを、三枝は見逃さなかった。 「効いた! 詰めろ!」  直後、奥井が大きく踏み込んでワンツーを放つ。阿久津は顔面をガードしつつ後退、ロープに背を預けた。尚も接近する奥井を右フックで迎撃するが、奥井はダッキングでかわして左右のフックをボディへ連打する。阿久津の背中が丸まった。明らかに効いている。たまらず阿久津が奥井の頭を掴み、クリンチした。くっつかれながらも、奥井はボディへのパンチを止めない。  数秒後にレフェリーがふたりを分けた。奥井はグローブで前髪を上へ撫でつけ、阿久津は両腕を下げて息を吐く。 「ボックス!」  レフェリーの合図と同時に、奥井が踏み込んで左ジャブを打つ。阿久津も接近して、互いに額を付けて睨み合う。そこからフックの応酬になるが、レフェリーに分けられて注意を受ける。 「奥井! 出入り!」  三枝の注意を受けて、奥井は再び前後の速いステップを始め、パンチのテンポも上げる。迎え撃つ阿久津の左ジャブが奥井の顔面を捉え、顎が上がる。すかさず阿久津が距離を詰めて、右ストレートを強振した。だが奥井はお辞儀する様に頭を下げてかわし、右オーバーハンドを振り回した。  鈍い音が響き、キャンバスが鳴った。
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