応用編 マスボクシング(2)

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応用編 マスボクシング(2)

 利伸と水島は共にゆったりとした足取りでリング中央へ進み、互いに左拳を合わせた。その直後、構え直した水島が鋭い左ジャブを二発、立て続けに放った。寸止めとは言え、かなりの切れ味だ。利伸はガードを上げつつ、僅かに右脚を下げただけで対応した。すると水島が、右肩を振ってのフェイントから一気に利伸の懐へ飛び込み、左右のボディフックを振るった。利伸は後退しながらガードを固める。 「真っ直ぐ下がるな! 回れ!」  三枝が指示を飛ばすと、利伸は水島の左フックの打ち終わりを左手で流しながら右へサイドステップした。いなされた水島はすぐに体勢を立て直し、ロングレンジから左を伸ばす。だが利伸は意に介さず、ややアップライトな姿勢から左ジャブを打った。予想外の伸びを見せたのか、水島が慌ててヘッドスリップする。そこへすかさず、利伸が右を打ち下ろす。水島は左腕でブロックし、低い姿勢から右アッパーを出す。利伸がスウェーイングでかわし、更に左ストレートを振った。  マスボクシングとは思えない程の緊張感が、早くもリング上に漂っていた。見守る三枝も、ふたりのパンチの切れに目を瞠っていた。  高校、大学を通じてのアマチュア戦績が十一戦七勝を数えるボクサーファイターの水島が、その出入りの激しさを存分に発揮しているのは当然として、驚くべきは利伸の対応力だ。このジム内でもパンチの速さには定評がある水島のジャブを眉ひとつ動かさずに見切る目の良さと、水島の体勢の崩れを見逃さずに右を打ち下ろす思い切りの良さ、どちらを取っても初心者の域を逸脱していた。  ふと気づくと、水島の額に汗が滲んでいる。反対に利伸は汗ひとつかいていない。傍から見ると、経験値が逆と思われても仕方がない絵面だ。  そこへ、出入口から驚嘆の声が響いた。 「あー、利伸がマスやってる!」 「マジか!?」  三枝が目を転じると、友永と井端が並んで立ち、共に目を見開いてリングを凝視していた。その様子に苦笑しつつ、三枝はふたりに視線を戻した。  暫くインファイトしていた水島が、離れてジャブを多用し始めた。利伸も応じて遠い間合いで左ジャブを打つ。何発目かのジャブの打ち終わりに、水島が大きく踏み込んで右のオーバーハンドを放った。利伸は咄嗟に右脚を下げて半身になると、パンチをすかすと同時に右アッパーを出し、返す刀で左フックを打ち下ろした。当然どちらも当ててはいないが、水島を面食らわせるには充分なコンビネーションだった。目をしばたたかせた水島が、バランスを崩して片膝をキャンバスに着く。すぐに三枝がふたりの間に割って入り、水島に手振りで立つ様に促した。  ファイティングポーズを取り直した水島の状態を確認してから、三枝が再開の合図を出す。今度は水島が、足を使って利伸の周囲を回りながらジャブを出し始めた。利伸も左を打つが、打った先に既に水島はおらず、常に横から水島のパンチが飛んだ。すると利伸は、左掌を突き出しながら急激にバックステップして大きく距離を開けた。追う水島の前にいきなり右ストレートを放って足を止めさせる。いつの間にかリングサイドに来ていた友永が「ほぅ」と声を漏らした。  水島は頭を振りながら前進し、下からストレートを打つ。利伸はガードを固めつつ後退し、ロープ際で足を止めて右ストレートで迎撃した。水島はダッキングでかわしてボディストレートを伸ばす。利伸がパーリングした所で水島がクリンチし、三枝が引き離した。  そこからは、お互いに中間距離でジャブを打ち合い、ラウンド終了のベルを聞いた。 「よぉし、これまで!」  三枝が告げると、利伸と水島は息を吐いて両拳を合わせ、対角線上のコーナーに戻った。三枝は、大汗を滴らせる水島は歩み寄って訊いた。 「お疲れさん。どうだった?」  コーナーポストにもたれて息を整えていた水島が、顔を上げて答えた。 「オッス、彼、本当に目が良いッスね。申し訳無いんすけど僕、何発か当てるつもりでパンチ出してたんですけど、ひとつも当たりませんでしたよ。凄いッスね」  三枝は水島の肩を叩いて労うと、反対側の利伸を見た。水島とは対照的に汗の量も少なく、表情にも変化が見えない。三枝は、利伸の強心臓ぶりに内心で舌を巻いた。そこへ、友永が声をかけて来た。 「ノボさん、後で俺とやらしてよ」 「何ぃ?」  三枝が目を丸くしたのと同時に、利伸も驚いて友永を見下ろした。
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