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応用編 マスボクシング(3)
三枝が何か言う間を与えず、友永は更衣室へ入った。戸惑った様子で三枝と友永を交互に見ながら、井端も後に続く。かぶりを振った三枝が利伸を見ると、やはり戸惑った顔で更衣室を見つめていた。
「ああ言ってるけど、どうする? やるか?」
三枝が訊くと、利伸は忙しなく視線を彷徨わせて訊き返した。
「あ、えっと、いいんですかね?」
「まぁ、お前さんはプロ志望なんだから、いずれはマスどころかスパーもやる事にはなるだろうけどな」
三枝は、思案を巡らせつつ答えた。
確かに利伸がプロデビューすれば、これまで井端ひとりが務めて来た友永のスパーリングパートナーを務める事になるのは明白だ。だがまだ利伸はプロテストの準備もロクにできていなければ、マスボクシング自体今日が初めてだ。その利伸と、既に豊富な試合経験を積んでいる友永がマスボクシングを行う事は、普通に考えたら非現実的だった。
心配顔の三枝に、利伸がいつもの調子で答えた。
「あ、じゃあ、やります」
「え? あ、そうか、判った。じゃ一旦降りて、一ラウンド休んだらパンチングボールやっててくれ」
「あ、はい」
返事してリングを降りた利伸を見送ってから、三枝はロープをくぐって事務室に駆け込んだ。椅子に深く腰を下ろしてテレビを観ていた大森が、気配に気づいて振り返った。
「どうした?」
大森の問いに、三枝は眉間に皺を寄せて答えた。
「いや、祐次が利伸とマスやらせろって」
「ああ、聞こえたよ。あいつも物好きだね」
平然と返す大森に、三枝が尋ねる。
「しかし、利伸は今日始めたばかりですよ? それで祐次とやったらいくらマスでも変に恐怖心つきませんかね?」
大森は椅子を回して向き直り、煙草を一本抜き出してから言った。
「ユージだってその辺は判ってるだろ。て言うか、ヒョロは何て言ってたんだ?」
「あ、ああ、やります、って」
「じゃあいいじゃないか、何事も経験だよ。それに、コータとのマス見てたけど、全然できてたよな? あれならそんなに心配要らんよ」
大森が口角を吊り上げて言い、煙草に火を点けた。三枝は不承不承頷き、事務室を出た。そかに丁度、着替えを済ませた友永と井端が出て来た。三枝は友永に近づき、厳しめの視線を浴びせて訊いた。
「お前、どう言うつもりだ?」
「何が?」
間抜け面で訊き返す友永に、三枝は更に言った。
「利伸とマスやらせろなんて、何で急に言い出した?」
友永は床に腰を下ろしてバンテージを巻き始めながら、パンチングボールを叩く利伸を見て答えた。
「いや何かさ、孝太とやってるの見てたらやってみたくなっちゃって」
「何ぃ?」
「アイツ、初めてのマスなのにえらく落ち着いて見えたし、パンチも全部見切ってたじゃんか。そんなん見せられたら、俺もウズウズしちゃってさ」
友永が、楽しそうに微笑した。隣に座った井端も同調する。
「本当、全然素人臭く無かったッスよね」
「しかしなぁ」
三枝が納得行かない顔をすると、友永は安心させる様に告げた。
「大丈夫だってノボさん、怪我させたりしねぇから。ちょっとだけ、アマとプロの違いを見せるだけだよ」
「それが心配なんじゃないスか?」
横から井端に突っ込まれ、友永は「うるせぇ」と返す。三枝は呆れ顔で溜息を吐くと、頭を搔きながら言った。
「判った。但し一ラウンドだけだぞ」
「ウッス」
友永と井端が縄跳びとシャドーボクシングを終えた頃、三枝はサンドバッグを叩いていた利伸に声をかけた。
「この後祐次とミットやったら、マスやるからな」
「あ、はい」
返事した利伸が、汗を拭いながらサンドバッグから離れた。三枝はパンチングミットを取り上げて友永に告げた。
「祐次! ミットやるぞ」
「ウッス」
応じた友永が、パンチンググローブを携えてリングに上がった。
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