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応用編 マスボクシング(4)
三枝が友永と二ラウンド目のミット打ちに入った頃、利伸はパンチングボールから離れて十オンスのグローブを嵌めてシャドーボクシングを始めた。その様子を横目で見ながら、三枝は友永に指示を飛ばしてパンチを受け続けた。
ラウンド終了のベルを聞いた三枝は、友永にグローブを替える様に告げて一旦リングを降りた。側でシャドーをしていた井端に近づくと、耳元で言った。
「なぁ、利伸にアドバイスしてやってくれよ、マスの時」
「あ、いいッスよ」
請け合った井端が顔の汗を拭きながらリングへ移動したのを見送ってから、三枝は友永と利伸を呼んだ。
「じゃあやるぞ」
「ウッス」
「あ、はい」
ふたりはそれぞれ返事して、対角線上のコーナーへ分かれてリングに上がった。遅れて三枝もロープをくぐり、水島の時と同様に注意を与えた。直後に、ラウンド開始のベルが鳴った。
「ボックス!」
三枝の合図と共に、ふたりがリング中央に進んだ。軽く左拳を合わせてから、友永が挨拶代わりにワンツーを打った。利伸が軽くバックステップするが、友永は構わず突進して頭を利伸のボディに付け、左右のフックを脇腹に振るう。そこへ井端の声が飛んだ。
「利伸! 捕まえろ!」
反応した利伸が、すぐに友永の頭を抱え込んでクリンチに持ち込んだ。すかさず三枝がふたりを分ける。
再開すると、友永がいきなり右オーバーハンドを強振した。利伸は左半身になってかわし、そのままサイドステップでリング内を回った。左を出して追撃する友永の眼前に左ジャブを二発置いて足を止めさせ、被せる様に右フックをフォローした。友永はダッキングで避け、ウィービングしながら右アッパーを打ち上げた。スウェーイングした利伸がフリッカー気味の左ジャブを出すと、友永が左掌で受け止めて、利伸が腕を引くのに合わせてワンツーを放つ。利伸は左を無視して右をパーリングし、更に左ジャブを出す。
「近い!」
井端の指摘を受けた利伸が、左ジャブを三連発してロープ伝いにサークリングすると、友永も鋭い追い足を見せる。利伸はリングを半周した所で逆に動くが、そこに友永の左フックが襲いかかる。すると利伸が首だけを左に振って拳をかわした。スリッピングアウェーと言う、高等な防御技術だ。
「おお!」
井端が思わず感嘆の声を上げた。三枝も眉を上げる。
一度も教えていない技術を、瞬間的に使って見せた利伸に、三枝は途轍も無いセンスの良さを感じた。
友永もやや面食らった様子だが、口角を吊り上げて右を振った。利伸は右ガードを高く上げつつスリッピングすると、友永の右脇から左アッパーを通した。
「うおっ!」
今度は驚きを隠さなかった友永が、慌ててスウェーイングした。
「ボディ空いた!」
井端の声に応じた利伸の右ボディアッパーが友永の腹へ襲いかかる。しかし友永は強引に左掌で押しのけて見せた。体勢を崩した利伸の顔面に、友永が左フックを被せた。避け切れない利伸のこめかみ寸前で、拳が止まった。激しい展開でも、友永はこれがマスボクシングだと言う事を忘れてはいなかった。
友永が自ら離れ、三枝も一度間に入った。ふたりがファイティングポーズを取り直した所で三枝が「ボックス」と合図した。
再び接近したふたりが、同時に左ジャブを打つ。友永が細かいステップを入れて飛び込むと、利伸が右で迎撃した。友永はダッキングでかわして右ストレートを伸ばす。ヘッドスリップした利伸が左を被せた。友永は右肩を耳に着ける様にして腕を上げてブロックし、左フックを見せてバックステップした。井端が腕組みして言った。
「相変わらずデタラメな避け方するなぁ祐次さんは」
「デタラメで悪かったな」
視線を利伸に向けたまま言い返した友永が、鋭く踏み込んで右ボディストレートを伸ばす。利伸は右腕で打ち落として左へ回った。追う友永の目の前に左ジャブを出してから、足を止めて右ストレートを打った。ヘッドスリップして友永が右オーバーハンドを出して飛び込み、クリンチになった。三枝が分けて、再開を促す。気がつくと、利伸の顔が汗で覆われていた。やはり友永のプレッシャーは、アマチュアの水島の比では無いらしい。息も少し上がっている様だ。
それからは、友永の突進を利伸が捌き切れずにクリンチになる事が増え、友永が押し気味でラウンド終了のベルを聞いた。
リング中央で両拳を合わせたふたりが、両コーナーに下がった。三枝は利伸に歩み寄って尋ねた。
「お疲れ。どうだった祐次は?」
「あ、はい。圧力が凄かったです」
息を弾ませながら答えた利伸の肩を叩いて労うと、三枝は踵を返して友永に近づいた。
「どうだ祐次? やってみて」
コーナーに背中をもたせかけていた友永が、グローブを外しながら答えた。いつの間にか、友永の額にも大粒の汗が浮かんでいる。
「ああ。なかなかやるよ、アイツ。本当に初めてとは思えねぇ」
三枝はもう一度利伸を見てから、更に言った。
「そうだな。あのスリッピングアウェーには恐れ入ったな」
「あんなん、素人じゃできないっしよ」
半ば呆れ顔で、友永は利伸を見つめながら返した。
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