番外篇 誕生日(1)

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番外篇 誕生日(1)

 十月に入り、友永の練習には更に熱がこもり、その気迫は『大森ボクシングジム』内の空気を引き締めていた。そんな中でも、怪我から復帰を果たした二宮はマイペースで練習に取り組んでいた。三枝の課すフィジカルトレーニングに、歯を食い縛って取り組む友永を横目に、二宮は相変わらずの高速フリッカージャブを繰り出している。その側に、アップライトスタイルから伸びのあるパンチを鏡に向かって放つ利伸の姿があった。  ラウンド終了のベルが鳴ると、友永が大きく息を吐いてその場にしゃがみ込んだ。同時に動きを止めた二宮が、振り返って友永に声をかけた。 「ユウちゃん、キツそうだね」 「どうって事ねぇよ」  顔を上げて答える友永の目は、まだ光を失ってはいなかった。三枝は友永に次のトレーニングを指示すると、利伸にマスボクシングの準備をする様に告げた。すると、二宮が割り込んだ。 「ノボさん、僕とやらしてよ、マス」 「何?」  急な提案に、三枝は困惑顔で訊き返した。利伸も戸惑い気味に二宮と三枝を交互に見ている。二宮は笑顔で答えた。 「いや、僕もそろそろシャドーやミット打ちばっかじゃなくて実戦に近い練習したくてさ、それに利伸君もユウちゃんやイバばっかりだと変に慣れちゃうじゃんか、だからさ、いいでしょ?」  三枝は腕組みして数秒唸っていたが、二、三度頷いて言った。 「判った。ふたりとも準備しろ。一ラウンド空けて、ひとりずつミットやってからやるぞ」 「よっしゃ」 「あ、はい」  ふたりはそれぞれ返事して準備に入った。その一方で、三枝は友永に向かって指示を飛ばす。 「よし次! ジャンピングスクワット!」 「オォーシ!」  友永の雄叫びが響いた直後に、ラウンド開始のベルが鳴った。  準備を終えた二宮と利伸は、それぞれ一ラウンドずつミット打ちをこなした。相手は越中が務めた。三枝はふたりのミット打ちが終わったのを見計らって、友永にも終了を告げた。顔を滴り落ちる大量の汗を前腕で拭いながら、友永が言った。 「さぁて、シンタの久々のマスを見ますか」  越中と入れ替わりにリングに上がった三枝は、ふたりをリング中央に呼び寄せて注意した。 「いいか、二宮は久しぶりなんだから、無理するなよ。だからって利伸は手を抜くなよ、いいな」 「オッス」 「あ、はい」  ふたりは同時に頷き、対角線のコーナーに分かれた。エプロンサイドに、まだ身体から湯気を立ち昇らせる友永と、サンドバッグ打ちを終えた井端が並ぶ。  ラウンド開始のベルと共に、三枝が「ボックス!」と合図した。ふたりはリング中央で軽く左拳を合わせてからファイティングポーズを取る。すると、二宮が鋭い踏み込みからフリッカージャブを利伸の顔面に向けて放った。咄嗟に首を動かす利伸だが、明らかに反応が遅れている。二宮は更にフリッカージャブを出し、利伸がパーリングした所で右をガラ空きの顎に伸ばす。ギリギリでスウェーする利伸が大きくバックステップするが、二宮の追い脚が速くて距離が開かない。利伸の背中がロープに着くや否や、二宮が身体を深く沈めて左右のボディブローを連打し、利伸をブロック一辺倒にさせておいて顔面に右フックを出し、素早く離れた。このフットワークの速さを活かしたヒットアンドアウェーが二宮の持ち味である。見守る三枝の足元で、友永が言った。 「追いつけてねぇな、利伸」 「やっぱ速いッスねニノさん」  隣で井端が応じる。友永の指摘通り、利伸は二宮の出入りの速さと独特の軌道で飛んで来るフリッカージャブに、まだ目が対応できていないと三枝も思った。  軽快なステップから、また二宮が一気に距離を詰める。だがここで、利伸が予想外の動きを見せた。フリッカージャブで飛び込んだ二宮の首根っこを捕まえて、押さえ込む様にクリンチに持ち込んだのだ。頭を下げさせられた二宮の脇腹に、左ボディフックを伸ばす。すかさず三枝が「ブレイク!」と言ってふたりを分ける。再開すると、今度は利伸が左腕を真っ直ぐ前に伸ばして二宮の前進を阻んだ。頭を振って侵入を試みる二宮に対して、利伸は左腕を伸ばしたまま左に回る。友永が呟いた。 「考えたな」  利伸なりに、二宮を中に入れさせない為の対策を打って来た訳だ。だが二宮は巧みに脚を使い、逆に利伸を惑わせておいていきなり右ボディストレートを打ち込む。何とかバックステップする利伸だが、この隙に二宮が距離を詰めてパンチを連打する。利伸がたまらずクリンチするが、二宮が胸を押して振りほどく。  少し距離が開いた所で利伸が左ジャブを出すが、二宮はウィービングでかわして左オーバーハンドで飛び込む。ブロックされるとすぐさま右アッパーから左ボディフックをフォローする。利伸はガードを固めてしのぎ、二宮の打ち終わりに左を伸ばすが、そこに二宮は居ない。  その後も、終始二宮が出入りの速さとハンドスピードで利伸を圧倒してマスボクシングは終わった。 「よし、ふたりとも腹筋やって上がれ」  三枝が指示し、ふたりはそれぞれ頷いてリングを降りた。三枝はロープをくぐりながら二宮に声をかけた。 「どうだった?」  二宮は足を止めて振り返り、微笑して答えた。 「凄いね、彼」 「何? どう言う事だ?」  不思議顔で三枝が訊き返すと、二宮はグローブを外しながら言った。 「最初はさ、結構思い通りにコントロールてきてたんだけどさ、あのクリンチからちょっと流れ変わったよね。僕のパンチをブロックする様になった」 「ほぉ」  三枝が相槌を打つと、横から友永が割り込んだ。 「そうそう、あいつ、後半は殆どクリーンヒット貰ってねえよ」 「ただまぁ、僕もパンチ貰わなかったけどね」  サムズアップしながら言い放つ二宮に、三枝が返した。 「その内手痛い一発食らうぞ」 「言えてる。あいつの動体視力はとんでもねぇからな」  友永が呼応すると、二宮が眉を上げた。 「肝に命じます」  笑顔で頷く三枝に、大森の声がかかった。 「お〜い三枝、ちょっと」  三枝は友永にミット打ちの準備を指示してから事務室に入った。 「何です?」  三枝が問いかけると、大森がデスクの上の湯呑を取り上げて茶をひと口啜ってから答えた。 「いやな、さっき確認したんだがヒョロは明日が誕生日なんだよ。だからプロテストどうすんのかと思って」 「え、あ、明日でしたか!」  以前にその話になった事を思い出して、三枝は頭を掻いた。
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