番外編 誕生日(2)

1/1
前へ
/87ページ
次へ

番外編 誕生日(2)

 事務室を出た三枝は、パンチングボールを叩いていた利伸に歩み寄った。 「おい利伸、お前明日誕生日だよな?」 「え? あ、はい」  利伸が手を止めて答えると、三枝は更に訊いた。 「知ってると思うけど、十八になったらプロテスト受けられるんだが、どうする? すぐ受けるか?」 「ああ、あの、それなんですけど」  利伸は少し間を置いてから、三枝に正対して告げた。 「親とも相談したんですけど、高校卒業してから受ける事にします。すみません」  言い終えるなり深々と頭を下げた利伸に、三枝が慌てて言った。 「いや、謝る事じゃないよ、いつ受けるかはお前が決めていいんだから、気にするな」 「あ、はい」  もう一度頭を下げると、利伸は再びパンチングボールを叩き始めた。  事務室へ戻りかけた三枝に、友永が声をかけた。 「ノボさん、あいつ明日誕生日なの?」 「ああ」  三枝の返答に、友永が更に訊く。 「何かやるの? サプライズ的な」 「いや、だってお前等のもやってないだろ」  三枝の素っ気無い返答に、友永は「確かに」と返して踵を返した。その背中を見送ってから、三枝は事務室に戻った。待ち構えていた大森が、湯呑を差し出しながら問いかけた。 「ヒョロ、どうするって?」  三枝は湯呑を受け取ると、空いた椅子に腰掛けつつ答えた。 「ああ、高校出てからにするそうです。何か謝られちゃって、困りましたよ」 「ヒョロらしいな」  大森の言葉に、三枝は苦笑で応じた。  翌日、三枝が雪子のサンドバッグ打ちを見ていると、制服姿の利伸が入って来た。 「チワース」  肩越しに振り返って確認した三枝が、雪子に耳打ちした。 「あいつ、今日誕生日なんだよ」 「あ、そうなんですか?」  雪子は小声ながらも素っ頓狂な声を出した。そんなやり取りが行われているとも知らず、利伸は事務室の大森に挨拶して更衣室へ歩を進めた。雪子はパンチを出しながら言った。 「じゃあもう、プロになれるんですね」 「ああ、まぁあいつは高校出てからプロテスト受けるそうだがね」  三枝の言葉に、雪子は深く頷いて言った。 「そうなんですか、そこは焦ってないんですね」 「両親と話して決めたそうだから、割と考えてるよあいつは」  三枝が答えた所で、ラウンド終了のベルが鳴った。三枝は雪子に腹筋して上がる様に指示して、シャドーボクシングを終えたアマチュア選手にアドバイスを与えた。  更衣室から出て来た利伸に、三枝が声をかけた。 「よう、誕生日おめでとう」 「あ、はい。ありがとうございます」  軽く頭を下げた利伸に頷きかけると、その後ろから雪子が現れ、首に掛けたタオルで額の汗を拭いながら利伸に言った。 「長谷部君、お誕生日おめでとう」  急に祝福された利伸は、少し顔を赤らめて小刻みに頭を下げて「あ、ありがとうございます」と答えた。その様子に笑顔を見せつつ、雪子が言った。 「プロになるの、大変だと思うけど、頑張ってね」 「あ、はい、あ、ありがとうございます」  忙しなく頭を動かして感謝の言葉を並べる利伸を、三枝は苦笑しながら眺めた。  夜になり、友永と二宮が揃ってジムに姿を現した。リング上で水島とミット打ちをしていた三枝が、パンチを受けながら友永に告げた。 「祐次、すぐ準備しろよ! アップできたらフィジカルだぞ!」 「へいへい、とその前に」  返事した友永が、肩から提げていたスポーツバッグを下ろして、中から何かを取り出して言った。 「おい利伸!」  シャドーボクシングをしていた利伸が、動きを止めて友永の方を向いた。丁度ラウンド終了のベルが鳴ったので、三枝も友永に視線を向けた。にわかに注目される中で友永が取り出したのは、純白のボクシングシューズだった。 「誕生日おめでとう。これやるよ」 「え?」  この展開にはさすがの利伸も戸惑い、呆けた様な顔で友永を見返すのみだった。 「何だ祐次、わざわざ買ったのか?」  三枝が尋ねると、友永はかぶりを振って答えた。 「いや、これ前に誂えたんだけどいまいちフィットしなくてさ、確か俺と利伸は足のサイズ変わらんから履けたらいいんじゃねぇかと思ってよ」 「ほぼ厄介払い、ごめんな利伸君」  二宮が毒づきつつ謝ると、友永が二宮の頭を横から小突いた。 「うるせぇシンタ」 「へっへ」  こたえた様子も無く笑った二宮も、自分のスポーツバッグから真っ赤なボクシンググローブを出して利伸に差し出した。 「はいこれ。僕は買ったからね、ユウちゃんと違って」 「イバに金借りてな」  今度は友永が毒づいた。途端に二宮が反論する。 「人聞きの悪い事言わないでよ! カンパだよカンパ!」 「物は言い様だよな」  やり返す友永を尻目に、二宮が利伸にグローブを手渡した。遅れて友永もシューズを渡す。ふたりからのプレゼントを受け取った利伸は、慇懃に頭を下げた。 「ありがとうございます」 「いいって事よ」  答えた友永が二宮と一緒に更衣室へ消えると、三枝はリングを降りて利伸に言った。 「良かったな利伸」 「あ、はい」  返事した利伸の顔は、戸惑いながらも何処か嬉しそうだった。
/87ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加