番外編 四度目のリングサイド(1)

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番外編 四度目のリングサイド(1)

 格闘技の聖地、後楽園ホールの中は、十二月の下旬とは思えない程の熱気に満ち溢れていた。今日開催されるプロボクシング興行は、メインイベントで日本スーパーライト級王者今宮圭人の五度目の防衛戦があり、またセミファイナルには東洋太平洋バンタム級二位の佐藤純也が、韓国同級王者で東洋太平洋同級三位の黄荊哲と次期挑戦者決定戦を行う為、ボクシングファンにとって注目度が高かった。そのセミファイナルの前、第八試合に「大森ボクシングジム」の友永祐次と、友永がかねてから対戦を熱望していた日本ウェルター級一位の城島賢吾の試合が組まれていた。  青コーナー側の控室の片隅で、三枝は両手にパンチングミットを嵌めて友永のパンチを受けていた。その傍らでは大森と越中が準備をしている。 「よぉーし、OK!」  友永の渾身の右ストレートを受けた三枝が、右前腕で汗を拭いながら告げた。友永は大きく息を吐いて両腕を下げ、身体を揺すった。壁に掛かったモニターには、現在リング上で行われている試合の模様が映し出されている。 「あれ、何試合目?」  友永に訊かれて、三枝がモニターに目を転じた。暫く様子を窺ってから、振り返って答えた。 「ありゃ六試合目だな。半年前にデビューした永山がやってる」  永山とは、大学時代に国体とインカレの二冠を達成し、卒業と同時にプロ入りした永山周次郎の事である。デビュー戦で瞼の上をカットするアクシデントに見舞われて、辛うじて判定で勝利を拾った為にこの二戦目は真価を問われる一戦だった。 「永山か、あいつガード甘いからな」  友永が吐き捨てる様に言った直後に、永山の顔面に相手の左フックがクリーンヒットした。苦笑する三枝が、ふと動きを止めたかと思うとミットを外してズボンのポケットに手を突っ込んだ。取り出したのは携帯電話で、相手は井端だった。 「おう、井端か」 『あ、三枝さ〜ん! 今水道橋に着きましたよ! いや〜間に合わないかと思いましたよ〜』 「何だ、仕事が長引いたか?」  三枝が訊くと、井端が大きく息を吐きながら答えた。 『それもそうなんスけど、電車が遅れて、何か痴漢が出たとかで』 「ほぉ、そりゃ災難だったな、それはそうと、もう奥井と利伸は来てるぞ」 『ですよね〜、すぐ行きま〜す』  三枝が電話を切ると、大森が尋ねた。 「バター、やっと来たか?」 「ええ、今水道橋駅だそうです、電車が遅れたとかで」 「まぁ、間に合ったからいいやな」  大森の言葉に、友永が返した。 「あいつはどうやっても来るでしょ、何たってメインが今宮ッスから」  今宮の持つ日本スーパーライト級のベルトは、井端の目標のひとつである。三枝は頷きながらも、渋面を作った。 「ただなぁ、正直言うと今宮とじゃまだ実力差がな」  王者今宮はアマチュア戦績六十戦四十五勝、プロでは十七戦十四勝八KO、タイトルマッチでは今の所三連続KO防衛中とかなりの勝率を残している。一方の井端はアマチュア経験無し、プロ七戦三勝一KOと、今宮と比べると見劣りしてしまう。 「イバはパンチ力がもうちょっとなぁ、それと積極性」  友永の指摘に三枝達が同意していると、その噂のヌシが伴を引き連れて控室に入って来た。気づいた大森が手を振って呼ぶ。 「おーい、ここだバター」 「あ、オッス〜」  手を振り返す井端の後ろに、利伸の頭が突き出ていた。他の選手やセコンドをかき分けて近づいたふたりの後ろに、やっと奥井の姿が見えた。三枝は、先頭の井端に言った。 「良かったな、今宮の試合に間に合って」  井端は一瞬キョトンとしたが、すぐに激しくかぶりを振った。 「ちょ、ちょっと何言ってんスか! 今日は祐次さんの応援に決まってんじゃないスか〜、なぁ利伸!」  井端が同調を求めて後ろの利伸を振り仰ぎ、水を向けられた利伸が「あ、はい」と首を縦に振る。それを横目に、奥井が友永に声をかけた。 「祐次さ〜ん、いよいよ城島とやれますね〜」 「おぅ、待ちかねたぜ。必ず勝つ」  答えた友永がサムズアップし、奥井も応じた。 「おい、皆そろそろ席に戻っとけよ」  三枝が指示すると、井端が友永に「じゃ祐次さん、KO期待してますよ!」と言い残して、利伸と奥井を連れて控室を出た。と同時に、モニターの中で永山が二度目のダウンを奪われていた。
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