番外編 四度目のリングサイド(2)

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番外編 四度目のリングサイド(2)

 結局、永山は三ラウンドでKO負けを喫した。次の試合が始まる頃、三枝は控室を出てトイレに入った。そこで、個室から出て来た大柄な男性とぶつかりそうになった。 「お、失礼」  慌てて避けた三枝が相手を見上げてやや目を見開いた。額に軽く汗を滲ませた城島が、柔和な顔で三枝を見下ろしていた。 「ああ、お久しぶりです、三枝さん」  城島の挨拶を受けて、三枝は微笑を作って返した。 「あ、ああ、久しぶり。今日は宜しく頼むよ」 「申し訳ないですが、僕が勝ちます」  表情を変えずに言い切ると、城島は会釈してトイレを出た。三枝はその後ろ姿を見送ると、鼻を鳴らして小便器に立った。  三枝がトイレから戻ると、大森達の動きが俄に慌ただしくなっていた。三枝を見つけた大森が声をかける。 「おい三枝、準備するぞ」 「え? ああ、はい」  戸惑いながら戻った三枝がモニターを観ると、前の試合が既に決着していた。現在リング上ではKO賞の授与が行われていた。 「何ラウンドだ?」  三枝は支度をしながら越中に尋ねた。 「二ラウンド早々でした。左フック一発」  越中の返答に頷くと、三枝は友永に小声で言った。 「さっきトイレで城島に会ったぞ」 「へぇ」  関心なさげに返事する友永に、三枝は敢えて告げた。 「申し訳ないが僕が勝ちます、だと」  その瞬間、友永の顔が引き締まった。 「野郎」  友永が城島にこだわるのは、日本ウェルター級のトップコンテンダーである事以外に、もうひとつ理由があった。  友永はデビューした年に東日本新人王決定トーナメントに出場し、準々決勝まで全てKO勝利を収めていて、ウェルター級の優勝候補に挙げられていた。だが準決勝目前で練習中に右拳を負傷してしまい、欠場を余儀なくされた。その時に反対側のブロックを勝ち上がって優勝をさらったのが、他ならぬ城島だった。城島は勢いそのままに全日本新人王戦も制して、一気に名を上げた。今でも友永は、大事な時期に怪我をした当時の自分を悔やむと共に、自分の居ないトーナメントを制した城島に対して異常な敵愾心を燃やしているのだ。 『続きまして〜第八試合、ウェルター級八回戦を〜行います。赤コーナーより、城島賢吾選手の入場です!』  入場テーマと観客の拍手を聞きながら、三枝は花道の奥で友永の様子を窺っていた。先頭に立つ大森の背中に青いグローブを着けた両拳を乗せた友永の表情は、身に着けたガウンのフードに阻まれて見えない。だが両足は小刻みにステップを踏む様に動き、それに合わせて両肩も軽く上下している。見た目はいつもと変わらなく見えるが、その身体の奥から立ち上るただならぬ殺気を、三枝はその全身から感じ取っていた。  いよいよだな。  声に出さずに言った所で、リングアナウンサーの声が響いた。 『青コーナーより、友永祐次選手の入場です!』 「よし、行こう!」  大森が号令し、一列に並んでリングへ向かった。  リングインした友永は、俯いたまま城島の方を見ようともせずにコーナーポストにもたれかかっている。 「大丈夫か?」  三枝がフードの中を覗き込んで訊くと、友永は歯を剥き出して笑った。三枝は頷き返し、ガウンのロープを解いた。 『ただいまより、本日の第八試合、ウェルター級八回戦を行います! まずは赤コーナー、北浦ジム所属、公式計量は〜百四十七パウンドォ〜、プロ戦績は十戦〜全勝、十勝の内九勝が〜ノックアウトォ〜、一昨年の全日本新人王にも輝いたぁ、日本ウェルター級第一位〜、この試合に勝って悲願の日本ウェルター級タイトル奪取を狙う〜、『ノックアウト・ジョー』、城島ぁ〜、賢吾ぉ〜!』  割れんばかりの拍手と歓声に、城島は右拳を上げて応えた。その様子を横目に見ながら、三枝は友永が着ていたガウンを脱がせてコーナーポストに掛けた。 『青コーナー、大森ジム所属〜、公式計量は〜百四十六パウンド四分の三〜、プロ戦績は〜九戦六勝二敗一引き分け〜、六勝の内四勝が〜ノックアウト〜、こちらも今日の試合に勝利して日本ウェルター級タイトルへの挑戦を目論む、『幻の東日本新人王』、友永ぁ〜、祐次ぃ〜!』  コールを受けた友永が、両腕を大きく広げて歓声に応えた。その落ち着き払った表情を見て、三枝は安堵感を覚えた。  レフェリーの呼び出しに応じて、三枝は友永と大森と共にリング中央へ歩を進め、対角線から来た北浦ジムのセコンド陣と握手を交わす。その傍らで、友永と城島がレフェリーの注意を聞きながら視殺戦を繰り広げていた。 「コーナー!」  レフェリーの指示に、ふたりは軽く両拳を合わせて踵を返した。コーナーに戻ると、三枝は友永にマウスピースを噛ませながら告げた。 「いいか、ガードを高く、常にジャブから入れよ。中途半端な距離に居るとやられるから、できるだけ近づけ」 「ウッス」  友永がマウスピースを噛み締めながら頷いたのを認めて、三枝はリングを下りた。 『ラウンドワン〜』  戦いのゴングが、鳴った。
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