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応用編 スパーリング(3)
「ダウン!」
三枝がすかさず声を上げて、利伸と水島の間に割って入った。水島の状態を確認しつつ、利伸に指でニュートラルコーナーへ行く様に指示する。
水島の左に合わせた、利伸の左ストレートだった。完璧なタイミングで放たれたカウンターに、さしもの水島も倒れざるを得なかった。
「いいぞヒョロ!」
大森の声援に「あ、はい」と答える利伸だが、その表情にはやや戸惑いの色が見える。三枝は水島に向けてダウンカウントを数えながら、間の抜けた様な顔で己の左拳を見つめる利伸の様子を窺った。
カウンターとは言え、それ程パンチに力は無かったらしく、水島はすぐに立ち上がり、ヘッドギアを直してファイティングポーズを取った。
「大丈夫か?」
三枝が訊くと、水島はマウスピースを噛み締めて頷いた。
「フラッシュダウンですよ」
三枝も頷き返して、利伸に告げた。
「利伸! 再開だ」
呼びかけられてやっと、利伸は自分の拳から目を上げて「あ、はい」と答えてコーナーから離れた。
「ヒョロ! 自信持って行けよ」
エプロンサイドに手を突いた大森の激励に無言で頷いた利伸が、水島を真っ直ぐ見てファイティングポーズを取った。
「ボックス」
三枝の合図の直後、水島がラッシュをかけた。利伸は左腕を伸ばしながらリング内を回る様にサイドステップして逃れる。だが水島の追い足が速く、追い込まれた利伸の背中がロープに接触した。
「打ち返せ!」
大森の指示に、利伸が左を出すが水島にかわされてパンチを貰う。ガードを固めた利伸を水島の左右のフックが襲った。三枝はスタンディングダウンを取るべきかと思ったが、ヘッドギアの奥の利伸の目が死んでいない事に気づき、介入を止めた。
水島は少し打ち疲れたのか、左ボディフックを強振した直後に一瞬間を空けた。その瞬間、ガードで縮こまっていた利伸の左が急速に伸びた。額に当たり、水島の頭が仰け反った。その隙を逃さずに左へサイドステップした利伸が、追って来る水島にワンツーを浴びせて足を止め、更に左ジャブを顔面に集める。
何発目かのジャブを強引に払った水島が右ロングフックを放った。利伸は冷静にスウェーイングで外して、上半身を戻す勢いでコンパクトに右ストレートを突き出した。またもカウンター気味にヒットし、バランスを崩した水島が後ろへ数歩よろめいた。追撃を狙った利伸の前に、慌てて三枝が割り込む。
「スリップ!」
持ちこたえられずにキャンバスに片手を突いた水島にスタンドを促しながら、三枝は利伸を見た。その表情に、先程ダウンを奪った時の戸惑いは無かった。
再び対峙したふたりが、同時に左ジャブを打つ。水島の拳が伸び切る前に、利伸のそれが水島の鼻面を叩く。やはりリーチの差は歴然としている。尚もジャブを突く利伸に、水島はウィービングを使いつつ接近を試みるが、利伸も左右にステップを変化させて入り込ませない。水島が踏み込んだ所に利伸の右フックが飛ぶものの、頭を低くした水島の頭上を掠めるのみだった。そのまま水島が近づき、クリンチになる。三枝が分けると、水島がワンツーで飛び込み、利伸が左へ回って左ボディフックを打つ。辛うじてガードした水島が、左肩を縮めてアッパーを出すと、利伸がスウェーイングしつつ距離を取る。
ジャブの打ち合いの最中、ラウンド終了のベルが鳴った。
「ストップ!」
三枝が両者を分け、ふたりはグローブを合わせて対角線上に離れた。三枝は利伸に歩み寄り、ヘッドギアの紐を解きながら尋ねた。
「どうだった?」
「あ、はい。緊張しました」
言葉とは裏腹に、利伸の表情は平穏そのものだった。
「ダウン取った時、お前何か変だったよな?」
三枝が更に訊くと、利伸はグローブのマジックテープを外しつつ答えた。
「あ、はい。まさかダウンすると思わなくて、そんなに強く打った訳じゃなかったんで」
無言で二、三度頷いた三枝は、利伸の肩を叩いて労ってから踵を返し、水島に声をかけた。
「お疲れ。どうだ利伸は?」
先にグローブを外し、自らヘッドギアを取った水島が、前腕で額の汗を拭いながら答えた。
「やっぱり目が良いッスよね。完全にカウンター取られましたよ」
「あいつ、倒れると思わなかったって言ってたぞ」
三枝が利伸の発言を報告すると、水島は苦笑いした。
「そんだけ余分な力が抜けてたって事ッスよね。俺、変に力入っちゃってたみたいッス」
「何だ、先輩の意地か?」
「まぁ、かも知れないッス」
笑顔ではぐらかすと、水島はロープを潜ってリングを降りた。すると、反対側からリングを降りた利伸が歩み寄って何やら話しかけていた。どうやら、ダメージを心配しているらしい。水島も笑顔で対応し、利伸を激励していた。そこに学校の部活動の様な雰囲気を感じて、三枝は口角を上げつつリングを降りた。そこへ、大森が話しかけた。
「ヒョロの奴、なかなかできてたなぁ」
「はい、まさかダウン取るとは思いませんでしたけどね」
三枝は微笑したまま答えると、大森と共に事務室へ向かった。
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