番外編 体重測定と階級(2)

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番外編 体重測定と階級(2)

 神妙な顔で俯く三枝と大森に、友永が声をかけた。 「ノボさん、どうしたんスか?」 「ああ、利伸のウェイトだが、どうもバンタムになりそうなんだよ」  三枝が振り返って答えると、友永は納得した様な顔で頷いた。 「あ〜、戦国時代だもんね」  友永が言った戦国時代とは、現在の国内バンタム級戦線の状態を指してメディアが言い出したフレーズだ。  世界のバンタム級戦線に目を向けると、現在のWBA王者はベン・マルコス選手(フィリピン)が六連続防衛中、WBCは前王者だった崔文鍾選手(韓国)が引退した為に空位、IBFは王者フランシスコ・ゲレーロ選手(メキシコ)が二度防衛、WBOは八度連続防衛中の正規王者コムペット・ソーンクラーンジムが怪我の為に休養し、暫定王座決定戦が近々行われる事になっている。  翻って日本国内では、王座を獲得した選手が三人続けて初防衛に失敗、更に現王者の東条卓也もタイトルを奪取した試合の後に眼窩底骨折が発覚し、休養を余儀なくされていた。暫定王座決定戦もフルラウンドの末にドローと、選手達の実力が異常な迄に拮抗している状況なのだ。そこへ割って入るのはかなり難しいと、三枝達が思うのも無理からぬ話であった。 「もしかしたら、大した成績も挙げられずに引退って事になっちまうかもな、最悪」  三枝が溜息混じりに漏らすと、友永が口角を吊り上げながら返した。 「ノボさん、何も今の状況が永遠に続く訳じゃないし、それにもしかしたら、アイツがそんな状況ブチ壊しちまうかも知れないぜ?」 「祐次」  三枝は戸惑いつつ友永を見返した。その横で大森が、快活に笑って言った。 「ハッハ、そうだな! ヒョロならやるかもな」  友永は満足創に頷くと、三枝にサムズアップして更衣室へ向かった。 「私等が信じてやらなきゃ、選手も戦えないですよね」  自分に言い聞かせる様に三枝が言うと、大森が頷いて答えた。 「その通り! さ、まずはキンジローのマスだろ、準備しよう」 「はい」  三枝は振り返って答えると、片隅で給水していた二宮に声をかけた。 「二宮! 休んでないでサンドバッグ二ラウンズだ!」 「ヘイヘイ」  溜息混じりに返事してサンドバッグへ向かう二宮を見送ると、三枝は大森と事務室に入った。  数分後、着替えを済ませた利伸と井端が出て来て隅に座り込み、バンテージを巻き始めた。三枝は飲みかけの茶を一気に流し込むと、事務室を出てふたりに声をかけた。 「おい、ふたりともアップと縄跳び終わったら三ラウンズシャドーな、その後で利伸は俺とミット二ラウンズやってから二宮とマス、井端はその間サンドバッグやって、二宮と利伸が終わったら祐次とマスだ、いいな」 「ウッス」 「あ、はい」  ほぼ同時に返事した利伸と井端が、バンテージを巻き終えてウォームアップを始めた頃に、友永が更衣室から出て来た。三枝は友永に近寄って告げる。 「祐次、後で井端とマスな、その前に二宮と利伸のマス見てやってくれ」 「了解」  口角を吊り上げて答えると、友永はそれまで利伸と井端が居た辺りに腰を下ろしてバンテージを巻き始めた。三枝はサンドバッグに移動し、二宮に発破をかけた。 「ホラ、もっと強く!」  やがて、十オンスのグローブを嵌めた利伸と二宮がリングに上がり、エプロンサイドに陣取った三枝の指示で互いに両拳を合わせた。その傍らで友永が、二宮に声をかけた。 「シンタ、マスだからって油断すんなよ」 「大丈夫だってユウちゃん」  余裕を見せる二宮に対し、利伸はやや緊張した面持ちでコーナーに立っていた。恐らく、以前にマススパーリングで二宮に翻弄された印象が残っているのだろう。三枝は利伸に向かって言った。 「利伸、リラックスして、丁寧にな」 「あ、はい」  利伸が返事した直後にラウンド開始のベルが鳴った。弾かれた様にコーナーを飛び出した二宮が、得意のフリッカージャブを数発打つが、利伸は動じずに左へ回り、左ジャブを返す。二宮がウィービングからワンツーを出すと、利伸は二宮の右拳を左手でパーリングし、返す刀で二宮のお株を奪うフリッカージャブを顔面へ伸ばした。 「うおっ!」  面食らった二宮が慌ててスウェーするが、そこへ利伸の右が襲いかかった。辛うじて左拳を上げてブロックすると、二宮はロープ伝いに足を使って距離を取った。利伸は無理に追わず、リング中央でファイティングポーズを取り直した。 「シンタ! 気ィ引き締めろ」  二宮に注意を促す友永の後ろから、井端が利伸に声援を送った。 「利伸! いいぞ! その調子だ!」  軽く頷く利伸に対して、二宮はやや上半身を前傾させてガードを低めに構えると、踏み込みのフェイントから立て続けにフリッカージャブを放った。真っ直ぐ下がる利伸に、二宮が大きく踏み込んで左ストレートを打ち込む。だが利伸は右半身になって避けると、二宮の脇の下から右アッパーを通した。グローブが二宮の鼻先を掠め、思わず瞬きする。 「おお!」  井端が感嘆する前で、友永が舌打ち混じりに言った。 「シンタ! 読まれてるぞ!」 「クソッ」  吐き捨てた二宮が、利伸の追撃を断つ様に左右のフックを振り回す。利伸は左腕を前に伸ばしながら後退し、二宮が前進しようとするタイミングで右ストレートを出した。二宮はダッキングでかわしつつ尚も前進、右アッパーのフェイントから左ボディフックを軽くヒットさせた。利伸が左フックを打ち下ろすが、かいくぐった二宮がクリンチする。 「ブレイクだ」  三枝が声を挟んで、ふたりは分かれた。気づくと、二宮の顔は大量の汗で濡れていた。片や利伸は汗ひとつかいていない。 「シンタ、落ち着け」  二宮は上腕で顔の汗を拭うと、視線は利伸に固定したまま答えた。 「判ってるよ、ユウちゃん」  三枝がタイマーに目を転じると、既に一分三十秒を過ぎていた。 「あと半分!」  三枝が告げるなり、二宮が右オーバーハンドを振った。左半身でかわした利伸に、二宮が身体を捻って左フックを打ち上げた。スウェーする利伸の目の前でフォロースルーを止め、フリッカージャブに変化させた。利伸の額に軽く当たり、今度は利伸が目を瞬かせた。隙を逃さずに接近した二宮が、利伸のボディへパンチをまとめ、利伸の反撃をクリンチでいなした。ブレイク後の再開では、二宮が足を使って利伸の周囲を回りながらジャブを連打、距離を取ろうとする利伸を鋭い出足で追い、上下に左を打ち分けた。  結局、利伸が二宮を捕まえられずにマススパーリングは終了した。利伸とグローブを合わせてロープをくぐる二宮に、三枝が訊いた。 「どうだ、キツかったか?」 「面目無いけど、疲れた〜」  おどけて答える二宮に、友永が言った。 「ウェイトに気ィ使ってねぇからだ」 「うるっさいなユウちゃん、試合決まって舞い上がってただけだよ」  二宮は口を尖らせて返すが、友永は微笑しつつ「嘘つけ」と言って取り合わなかった。  三枝が利伸を見ると、グローブを外しながらロープをくぐる所だった。 「利伸、どうだった?」 「あ、はい。遊ばれました」  少しだけ額に汗を滲ませた顔を向けて答える利伸に、三枝は近づいて告げた。 「アイツが緩んでたのもあるが、前半は良かったぞ」 「あ、はい。ありがとうございます」  会釈した利伸がリングを下りると、入れ替わりに井端がリングに上がった。 「さぁて、久々に祐次さんとマスだ」 「イバ、覚悟しろよ。俺はシンタほど緩んでねぇからな」  リング下でグローブを嵌めながら友永が告げると、後ろから二宮が口を挟んだ。 「ちょっとユウちゃん! 緩んでないって!」 「どうだか」  小声で言うと、友永は三枝の横を通ってリングに上がった。三枝はタイマーを見上げてからふたりに言った。 「よぉし、ふたりとも気を引き締めてやれよ!」  ラウンド開始のベルが鳴り、友永と井端がリング中央で対峙した。
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