番外編 GW合宿(1)

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番外編 GW合宿(1)

 世間がゴールデンウィークを満喫している最中、『大森ボクシングジム』では連休を利用して選手達が合宿を張っていた。大森は休んでいるが、三枝と越中は全日程に参加する。選手は友永以下プロボクサー全員と、夏に大会を控えている水島の計五人。  初日の朝、三枝が越中と共に誰も居ないジム内を掃除していると、早くも友永が姿を現した。 「オィ〜ッス」 「おお祐次、えらく早いな」  三枝が返すと、友永は肩に提げていたスポーツバッグを足元に下ろして言った。 「俺は試合ねぇからさ、ノボさん達のフォローもしないと、と思ってね」 「ほぉ、それは助かるな。じゃあ早速リング拭いてくれ」  三枝がエプロンサイドに置かれた水入りのバケツを指差して頼むと、友永は「いきなりキツいな」とボヤきながらも笑顔でリングへ歩み寄った。  掃除がいち段落した頃に、井端と二宮が連れ立って入って来た。 「チワ〜ス」 「おはよっス〜」  そこへ、丁度リング掃除に使った雑巾を片付け終えた友永が、流しを設置している男子更衣室から出て来て、ふたりを認めて言った。 「よぉ、お揃いか」 「あ、祐次さん! 何やってんスか?」  井端が目を丸くして訊くと、三枝が代わりに答えた。 「掃除を手伝ってくれたんだよ、お前達と違って試合が無いからって」 「へぇ〜、気が利くねユウちゃん」  からかい半分で声をかけた二宮に、友永が近寄って返した。 「お前と違ってな」 「どぉ言う意味だよそれ?」  二宮の反駁を聞き流した友永が、三枝に尋ねた。 「で、ノボさん、何時から始めます?」  三枝は壁の時計を見上げた。午前九時半を過ぎている。 「もう少しすりゃ奥井も水島も来るだろ、揃わなくても十時には始めるから、皆準備しろ」 「ウッス」  友永が頷くと、二宮達も応じて更衣室へ入った。  それから五分程に現れた水島は、やや眠そうな顔をしていた。 「どうした? 随分目が腫れぼったいな」  三枝が訊くと、水島は指摘された目を擦りながら答えた。 「すみません、夕べ遅くまで大学の課題やってて。危うく寝坊するとこでした」 「学生は辛いな」  横から越中が言い、三枝も「全くだ」と同調した。水島が苦笑いしつつ更衣室へ入ると、入れ違いに三人が支度を終えて出て来た。 「コウタの奴、凄ぇ眠そうだったな」  友永が誰にともなく言うと、三枝がフォローした。 「夜中まで課題やってたらしい」 「課題! 懐かしい響き」  井端が更衣室を振り返りながら言い、二宮が後ろから突っ込む。 「イバは全然やんなかったんだろ?」 「そ、そんな訳ないじゃないスか! そりゃまぁ、たまに忘れて教授に怒られたりしましたけど」  井端が言い返し、二宮が笑顔でかわしながら共に床に座り込んでバンテージを巻き始めた時、出入口の扉が乱暴に開くと同時に大声が飛び込んで来た。 「すみませぇ〜ん! 遅れましたぁ〜!」  直後に入って来たのは、残りのひとりである奥井だった。余程慌てて走って来たのか、既に顔面は汗だくである。 「おぉ、滑り込みセーフだな奥井」  三枝が労うと、奥井はジム内を見回して安堵の溜息を吐いた。 「あ、良かったぁ〜、まぁだ練習始まってなかったんスね〜間ぁに合ったぁ〜」 「安心してないで着替えろ、もうすぐ始めるぞ」  越中が注意すると、奥井は恐縮してそそくさと更衣室へ入った。その背中を苦笑して見送ると、三枝が友永達に号令をかけた。 「さぁ、ふたりが出て来たらアップだ、しっかり身体温めろよ」  数分後に水島と奥井が支度を終えて合流、合宿初日の幕開けとなった。まずは選手全員でウォームアップの為の柔軟を行い、次に三ラウンズの縄跳びと続く。その間、三枝は越中と予め決めておいたトレーニングメニューの確認を行った。  今回の合宿は、何と言っても怪我からの復帰戦に臨む二宮と、久し振りの試合が決まった井端が主役だ。二宮は試合勘と、試合に耐え得る体力を取り戻す為、井端はフルラウンド判定までもつれた前回の試合の反省と改善が主目的である。従って、メニューは体力向上とフィジカル強化を主軸に構成されている。プロ向けの内容だが、水島は大会の為にと志願して参加している。  縄跳びを終えた選手達が思い思いに給水していると、スポーツドリンクの入ったボトルを持った友永が三枝に近寄って尋ねた。 「今回、利伸は呼ばなくて良かったんスか?」  後で使うストップウォッチの動作確認をしていた三枝は、振り返って答えた。 「ああ、あいつはちょっと趣旨が違うからな」 「まぁ、確かに」  友永が応じると、三枝は更に言った。 「あいつに必要なのはフィジカルやスタミナより、基本だ。なんてったって、プロテストだからな」  遡る事一週間、ジムで練習していた利伸に歩み寄った大森が告げた。 「おいヒョロ、キンジロー達の試合の日にプロテストやるそうなんだが、受けるか?」 「え?」  いつもなら何を言われても淡白そうな調子で「あ、はい」と返事する利伸が、珍しく言葉に詰まった。  ボクシングのプロテストは、興行が行われる日の試合開始前に催される事が多い。試合の為に設置したリングを利用して実技テストを行うのである。  エプロンサイドで二宮と井端のマススパーリングを見ていた三枝は、大森に近寄って言った。 「ちょっと、急じゃないですか? 利伸はまだ試合の経験もありませんし、せめて何処かアマチュアの試合に出してからの方が良くありませんか?」  大森は利伸に背を向けると、三枝に顔を近づけて返した。 「それも判るけど、あんまり間を空けるとヒョロの熱が冷めちまうかも知れんだろ、鉄は熱い内に打てってな」 「しかし」  尚も三枝は難色を示すが、大森は平然と言った。 「それに、完全な実戦とは行かんがここでユージ達とスパーやって、互角とは行かなくてもそれなりに渡り合えてるんだ、その辺のプロ志望よりもハートは強いと思うぜ。まぁ、決めるのはヒョロ自身だけどな」  最後にウィンクして、大森は三枝から離れた。心配そうに振り返る三枝の視線の先に、動きを止めて考え込む利伸が居た。大森も答を急かさず、腕組みをして待っている。異変を察知したのか、友永がサンドバッグ打ちを中断して寄って来た。三枝は口を開きかけた友永を目で制して利伸を見守った。  やがて、ラウンド終了のベルが鳴ると、それまで俯き加減だった利伸が真っ直ぐ大森を見返して告げた。 「受けます」 「判った。じゃ、申込み書類作るから事務室に来てくれ」  指示した大森の後ろについて利伸が事務室へ向かうと、友永が三枝に近づいて訊いた。 「受けるって、まさかプロテスト?」 「ああ。遂にだ」  三枝は少し口角を吊り上げて答えると、インターバルに入った二宮と井端に発破をかけた。
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