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座席を占領する段ボール群に目を向けた担当の「もしかして、これからさっそく新居に向かわれるんですか?」という質問に、元晴は少々面映ゆい気持ちで「そーですよー」と返した。
「引っ越し業者たのんでんのは明日で、まだベッドもテレビも冷蔵庫もないってのにこいつがもう一日たりとも待てないとか言うんですよ。だから今夜のところは寝袋持って」
先に助手席に乗り込んだ友樹を見ながら教える。
「楽しそうですね。これから前夜祭だ」
「なんのだよ」
笑って返す元春に担当は「新しい場所ではじまる新らしい生活の、です」と胸をはって答えた。
今日は金曜。定時なんかあってないような職場を17時に抜けてきた。土日休みではない職場で、有休を使うとはいえできるだけ顰蹙を買わないよう備えてきた。得にこの三か月は。
後輩、同期、上司、周囲抜かりなくフォローし、時には代わりにミスを引き受けたりとか、とにかく可能な限り恩を売って。
「はしゃぎすぎですよね。たかが引っ越しで」
担当は「たかがなんて」と首を振り否定した。
「家を買うことは間違いなく人生のビックイベントのひとつです。浮かれて当たりまえだし、むしろもっと浮かれてほしいくらいです。その方が僕らも嬉しい・・・あ!そうだ、これ言っとかなきゃ。エアコンなんですが先日僕が確認に行ったところ、リビングのはすでに取り付けが完了していて問題なく動くはずです。ですが万が一稼働しないようでしたら電話してください。9時まで居りますし、できる範囲で対処します。この時期夜といえどさすがに冷房なしは危険ですから」
キーを回しエンジンをかける。
友樹が助手席の窓を開け「ばいばい」と手を振る。
「じゃあな、ともくん」
笑顔で手を振り返す担当は、ハンドルをきる元晴に視線をむけ、その白い歯をおさめると背筋を伸ばし表情を引き締め、最後に深々と頭を下げた。
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