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ドビュッシーのピアノ曲で一番ポピュラーなのはやはり“月光”だろう。“版画”も名曲揃いだが、ドビュッシーがメインのリサイタルではないのに、なぜそれを選んだのだろう。
『作品番号100、版画』
送られてきたメッセージが何を意味するのか、僕は携帯の画面を見たまま暫し考え込んでしまった。すぐに次のメッセージがきた。
『ドビュッシーは作曲するたびに、いま何作目かなんて考えてなかったろうけど、あとでふと“版画”が100作目だったのか、なんて、ちょっとは感慨深いものがあったかもしれないよね』
携帯の向こうで、椎葉がいたずらっぽく笑ったような気がした。
演奏は中間部分にさしかかった。右手と左手と、それぞれが旋律を紡ぐという、なんとも不思議な世界が広がる。ふたつの旋律は複雑に絡み合い、溶け合ってひとつとなる。
ここでも椎葉は徹底して音量を抑えていた。その音色は、小川のせせらぎよりも心地よい。その安らかな空間に鐘が鳴る──鐘というより、細やかに、けたたましく鳴り響くベルのような。
“感慨深い”だなんて、椎葉は何か思うところがあったのだろうかと、今になって思う。でも当時の僕は、ただただ首を捻るばかりだった。椎葉の気持ちなど、少しも考えていなかった。
優勝という栄光を手に入れた筈の自分は、あっという間に表舞台から消えた。
椎葉が羨ましくない訳はない。むしろ激しく嫉妬した。優勝した訳でもないのに、僕の栄光をさらりと横取りされてしまったようなものなのだ!
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